歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

摂津本山に暮らした日々

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もう20年ほど前、仕事を始めてからまだ間もない頃、この駅から徒歩10分ほどのところで一人暮らしをしていた。実家から大学に通っていた僕にとっては、これが初めての一人暮らしだった。給料は安く、住まいは小さかったが(20平米ほどのワンルームで、確か家賃が43000円だった)、僕はまだ若く健康で、今よりずっと楽観的で、未来には何かきっといいことが待っていると信じていた。

この地を選んだのは、当時、神戸と大阪両方で仕事をしていたため、どちらにも通勤可能で交通至便な場所がよいという実利的な理由であったのだが、実際に生活を始めてみると、僕はこの町にすっかり魅了されてしまった。三宮には10分以内、大阪にも20分ちょっとで行けてしまうという便利さは言うまでもなく、近所にはスーパーもコンビニも飲み屋もたくさんあって、毎日の生活に少しも困らない。風光明媚な自然にも恵まれている。僕はよく、阪急からJRへ続く小洒落た界隈を散歩し、甲南商店街で買い物をし、住吉川沿いをジョギングし、暇があれば自転車で岡本の梅林や灘の酒蔵や六甲アイランドまで遠征した。春になると、芦屋川や夙川へ桜を見に行った。4月初旬のある日、自転車で近所を走り回っているとき、弓弦羽神社に偶然行き着き、そのあまりにも豪華な桜に息を呑んだのは今でもよく覚えている。金はなかったが、時間はたっぷりあったので、いろんな場所をとにかく探索しまくった。谷崎の『細雪』の舞台に今まさに自分が住んでいるのが少し不思議だった。

三宮へ出るだけで小1時間かかってしまう、平凡で小さな町に育った僕にとっては、神戸と大阪の間、いわゆる阪神間の便利で文化的な生活は非常に新鮮で、毎日が本当に楽しかった。平日、摂津本山や岡本から電車に乗って乗って大阪や神戸へ通勤するという、ただそれだけの行為でも、なんだかワクワクして、いっぱしの都会人になった気分がしたものだ。

しかし、彼の地での生活は3年ちょっとで終わりを迎えた。生活上の変化がいろいろあり、僕は渡米するという道を選んでしまったのだ。それから長い間、本山を再訪することはなかったのだが、数年前、仕事の関係で幸運にも大阪に一月半ほど滞在する機会を得、ある日、あの町どうなっているかな、とふと思い立ち出かけていった。僕がいた頃の摂津本山の駅は、小さな駅舎が線路を挟んで南北に建っているだけの、まるで都会から遠く離れた郊外の駅のようで、お隣の住吉駅と対照的だったのだが、そこには立派な駅ビルが建設されすっかり見違えていた。昔の駅舎を懐古する気持ちは別段なかったが、駅ビルのガラスに映った自分の疲れた顔と白いものの混じった頭を見ていると、いやでも時の流れを感じざるをえなかった。