歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

サイモン&ガーファンクル

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中学生の頃の数年間、サイモン&ガーファンクルに夢中だった。熱病にでもかかったように、来る日も来る日も聴き続けた。

今から思うに、凡庸で刺激に欠けた郊外のニュータウンに育った僕は、聴くもの、読むもの、観るもののすべてにおいて、ニュータウン的凡庸さの対極に位置するもの、すなわち、都会的なものを無意識に探し続けていたように思う。僕がS&Gに陶酔したのも、根底には都会的なるものへの強烈な憧れがあったように思う。

当時は、CD時代のちょっと手前で、まだまだレコードが主流。近所の貸しレコード屋(そんなのが昔はありましたね)でレコードを借りてきたり、そこにないLPは、三宮のセンタープラザとかにあったセコハンレコードの店で探し求めたりした。

ポール・サイモンの創るなめらかで優しいメロディや、彼のちょっと鼻にかかった、いかにもアメリカ人的な声(アート・ガーファンクルの澄みきった声もよかったが、僕はなぜかポールの声により強くひかれた)ももちろん魅力ではあったが、僕は、何よりポールの書く詞にのめりこんだ。彼の詩は繊細で内向的で心地よい程度に難解で、僕は、アメリカの都会人の生活を自分の小さな寝室で空想しながら、LPからカセットへダビングしたものを擦り切れるほど聴いた。

例えば、「サウンド・オブ・サイレンス」や「アイ・アム・ア・ロック」の孤独と疎外の世界は、部活にいそしむ平凡な14の少年には未だ経験なきものだったが、大人として都会で生きるとはこういうことか、と何となく分かった気でいた。

「4月になれば彼女は」や「キャシーの歌」などの美しい風景描写は流麗で、僕をうっとりさせた。例えば、「キャシーの歌」はこんなふうに始まる。

I hear the drizzle of the rain

Like a memory it falls

Soft and warm continuing

Tapping on my roof and walls

こぬか雨が聞こえる

思い出のように落ちてくる

やわらかく、温かく続いてる

僕の家の屋根や壁をたたきながら

これらの歌を聴いていると、自分の部屋の窓から見る似通った家々とアスファルトと電信柱といった月並みな風景が、まだ見ぬニューヨークはセントラルパークの風景へとすり替わっていくようだった。

数あるS&Gの曲の中でも僕のお気に入りは、「ボクサー」だった。都会に出てきた青年が数々の苦難に押しつぶされそうになりながら故郷を思う、というストーリーだ。”I am just a poor boy (僕はただの貧しい少年なんだ)”という告白から始まる詩には、すっかり打ちのめされてしまった。歌詞を翻訳を通してではなく、生で理解したいと思い、一語一語辞書を引いたのをよく覚えている。

あれからもう何十年も経ち、僕自身もそれなりの知識と経験を積んできた。今から見ると、ポール・サイモンの歌が、反戦運動・公民権運動が伝統的な価値観や生き方を激しく揺さぶっていた60年代アメリカにおける左翼的知識人文化の産物だということがよく分かる。そこには、ある種の階級意識やナルシズムが潜在していることも、今ならよく分かる。ただ、当時はそんなことは知らず、S&Gの唄う都会生活の孤独と寂寥が最高にクールだと思いながら聴いていた。文化的・歴史的コンテクストなどを取り払ったところで、心に響くかどうかだけを基準に音楽を聴いたり映画を見たりできるのは子供の特権であり、それはそれでとても幸せなことだったと思う。

『水曜の朝午前3時』に始まり『明日に架ける橋』で完結する、S&Gの6枚のオリジナルアルバムを聴き込んだ後は、それぞれのソロアルバムも聴いてみた。ポールの『ポール・サイモン』や『グレイスランド』、アートの『レフティ』なんかは、少ない小遣いを貯めてLPを買いそれなりに聴いたが、なぜか、あの6枚のアルバムのような感動はもうなかった。