歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

大阪日本橋、初かすみ酒房

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日本へ一時帰国したときの楽しみのひとつが、大阪は日本橋にある「初かすみ酒房 」での一杯だ。大阪で片付けるべき仕事が特になくても彼の地に宿をとって、一晩でも二晩でもゆっくりしたいと思うのは、この「初かすみ酒房」がその理由のひとつだと言っても過言ではないかもしれない。なんばグランド花月で吉本を見た後、なんばウォークを東進して、ここで一杯というときもあれば、梅田あたりで所要を済ませ、その辺で飲めばいいのに、やはり「初かすみ」でなくては、と日本橋まで足を運ぶこともある。

ここは、お酒も料理もすっきり簡素なのがいい。お酒は、奈良は久保本家酒造のお酒。癖がなく、主張が少なく、料理によく合う。おでんは、関西風の薄味。僕は、こういう、おでん専門店でない店の、あまり気張りすぎていない、ちょっと肩を抜いたゆるい感じのおでんが大好きだ。「何だ、これは!こんなに美味いものがあったのか」といった感嘆はないかもしれないが、ひと口、ふた口味わうにつれ、心が落ち着き、体がぬくもり、何となく懐かしい気持ちになる。他にも刺し身、天ぷら、焼き物、とりあえず普通の酒場にある料理はたいていあって、ほとんどハズレがなく、酒と料理がきれいに調和している。

この酒場は、大都会の主要駅のすぐそばという立地条件から、様々な人々が様々な理由で集う。もちろん常連さんもいるだろうが、彼らでがっちり固められているわけではなく、ふらっと入ってきて軽く一杯飲んでふらっと出ていく、という一見さん的な客も多い。僕のような旅人にとってはとても入りやすい場所なのだ。店のおねえさん・おかあさんたちは親切だが、あっさりしていて、しつこくなく、過剰なサービスはない。ここでは、誰もが巨大都市大阪に生きる何百万という人々の一人となり、匿名性が保証される。

その一方で、この酒場には不思議な親密性もある。皆、静かに品よく飲んでいるが、カウンター席のみの小さな店で、一人飲みが多いので、隣の人と会話が自然に始まる場合も珍しくない。また、客の中には、吉本や松竹の舞台から出てきたような、かなり個性の強い人もたまにいたりして、彼らのやり取りを観察しているのも愉快だ。そこは、やはり大阪という土地柄なのかもしれない。

つまり、僕にとって「初かすみ酒房」とは、一人で来訪し一人を楽しみながらも、自分は決して一人ではなく、同じように一人を楽しむ仲間が他にもいるという、少々逆説的な事実――匿名性と親密性の不思議な融合――を認識させてくれる、とても心地よい場所なのだ。しかし、次にここに行けるのはいつになるのだろうか・・・。