歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

煮豆の思い出

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誰にでも子供の時分の記憶を喚起する匂いがひとつやふたつあると思う。僕にとっては、煮豆(関西風に言えば、豆の炊いたん)の匂いがちょうどそれに当たる。煮豆は、幼い頃から僕の好物で、それがおかずだとご飯もおかわりできた。大豆と根菜と昆布だしと醤油と砂糖とがちょうどいい具合に混ざりあった、あのほんのり甘辛い匂いを嗅ぐと、心は突如何十年も前の故郷の町に連れ戻される。寒い冬の日の夕暮れ、遊びから帰ってきて家の扉を開けたとき、煮豆のあの匂いが、石油ストーブの匂いに混ざって漂ってくると、それだけでとても幸福な気持ちに包まれたのをよく覚えている。

そんなわけで、今でも煮豆には思い入れがあるし、自分の体及び心との相性も非常に好ましいように思う。気が腐ったり萎えたり弱ったりしたときなど、豆を炊いて食べると、不思議に気持ちがリセットされ、完全復活とまでは言わないが、もう少しやってみるか、ええことあるかもしらんし、という気持ちになれる。

で、昨日、豆を炊いた。特に、気が腐っていたわけでも、萎えていたわけでも、弱っていたわけでもなかったが、昨日はちょうど一日在宅勤務の日だったので、このチャンスを逃すまいと、その前の晩から豆を水に浸しておき、朝方からスロークッカーで豆を水煮し、それを大根と人参とひじきと油揚げと一緒に炊いた。おそらく他人様にとっては何の変哲もない平凡極まりない、そしてあまりに薄味――いろいろ数値を気にせざるを得ない年齢なので――の煮豆だろうけど、自分にとっては、歴史的意義のある大切な食べ物であり、匂いを充分に堪能した後のはじめの一口は、今だ僕の心を熱くジーンとさせる。薄味だろうと何だろうと、「思い出」というのは何者にも勝る最高の調味料のように思える。