歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

福山の先輩、尾道への旅

高校時代に同じ部活に所属し、慕っていた先輩が広島は福山の大学に通っていた。90年代初頭のある夏、この先輩を訪ねて福山まで遊びにいった。電話で話していて、暇やったら遊びに来いやと言われ、明日はどない、という具合にトントン拍子に話が決まった。

神戸から福山までなら新幹線に乗ればすぐだけど、当時の僕は時間はあるが金のない大学生であったゆえ、鈍行に揺られて気長な旅を楽しむ、という選択をした。関西の人ならご存知だろうが、京阪神とその近郊は、新快速という、特急並みの速度と停車駅の少なさを誇りながら普通料金で乗れてしまう、この上なく便利な乗り物をJR西日本がかなりの頻度で走らせている。これに乗れば姫路まではすーっと何の苦労もなく行けるのだが、そこからさらに西、つまり岡山方面へ行こうとすると、電車の本数も乗降者数もぐっと減り、沿線風景はのどかになり、にわかに「旅気分」が醸成される。

福山の駅には先輩が迎えに来てくれており、そこからは先輩のバイクの後ろに乗せてもらいアパートへと向かった。夕方になると先輩は、居酒屋のバイトのシフトをどうしても変わってもらえなかったと言って出かけていき、その間、僕はひとりでビデオを見たり、先輩のベッドでうたた寝したりして暇をつぶした。数時間後、先輩が彼女と一緒に帰ってきた。彼女と半同棲のような状態になっているのはすでに聞いていたが、実際に対面するのは初めてだった。先輩よりひとつかふたつ年上、学生ではなくアパレルかなんかで接客をしている人だったと思うのだが、今となっては顔も名前も思いだせない。ただ、とても大人っぽい、タバコを吸うのが絵になるきれいな女性だった。数年前まで学生服を着てのどかな田舎道を自転車で通学していた先輩に、こんな大人びた彼女ができたのが、何となく不思議だった。

次の日、彼女は休みを取ってくれていた。彼女の女友達が車を出してくれるそうで、どこか行きたいところはないかと聞かれたので、僕は尾道が見てみたいと言い、先輩、彼女、彼女の女友達、僕の4人で尾道へ繰り出した。福山から尾道までは車で30分ほど、とても近かった。あいにく、空には厚い雲がかかり、小雨のぱらつくうっとおしい日で、千光寺から晴れ渡った瀬戸内の海を一望する、という無邪気な旅行者的望みは絶たれてしまった。しかし、雨に煙る尾道の小さな路地や狭い通りは、夢幻的でなんだか現実離れしていて、それはそれで悪くはなかった。まるで古い白黒映画の中に紛れ込んだようで、それらのショットをそっと切り取っていつまでも大切にしまっておきたい気持ちだった。この尾道旅行は、カメラも持参していなかったし、色々なところで記憶が薄れているのだが、あの時の風景は、なぜか強烈な映像として頭の中に残存している。今でも目を閉じれば鮮やかによみがえり、疲れたときなど心を落ち着かせてくれる。

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こういう景色を期待してたんですけど(出典:おのみちや)

その後は、広島風のお好み焼き(イカ天の入ったお好み焼きを食べたのは、このときが初めてだった)を食べさせてもらい、福山へ戻り、実家に帰省する先輩とともに車上の人となった。数時間後には味気ないニュータウンの我が家へ帰宅、短い福山・尾道旅行は終わった。

後日談になるが、その先輩とは妙に気が合って、先輩が夏に帰省するたびに遊んだ。僕が運転免許を取って車を持ってからは、海へ行こうと夜中に舞子(神戸の西の端の浜辺です)までドライブしたり、深夜のガストで長話をしたり、オールナイトでカラオケしたり、今から思うと随分他愛のないことで時間がつぶせたものだと思う。でも、当時の僕は、先輩が大好きで、一緒にいるとこの上なく愉快で、何かとても貴重な時間を共有しているような気がしていた。その後、ふたりとも大学を卒業したわけだが、それからはたまに電話したり、年賀状やメールのやりとりをする程度の、すっかり遠い人となってしまった。7、8年前にもらったメールには、また会いたいですね、と書かれており、こちらも、ぜひ会いましょうと返したが、未だ再会は実現していない。福山にも尾道にもあれ以来一度も行く機会を得ていない。アメリカにいると日本はやはり遠い。