歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

大阪 キャヴァーン・クラブ

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ビートルズを本格的に聴くようになったのは、大学生になってからだった。以前にも書いたとおり、僕は、中学時代はサイモン&ガーファンクルや60年代アメリカのフォークソングに傾倒していて、高校に入ってからはビーチボーイズの『ペット・サウンズ』がお気に入り、それに加えて、ジャズなんかも聴きはじめて、でも、なぜかビートルズを聴き込むことはなかった。しかし、大学に入ったあたりから、ギターや他の楽器をやってる周りの友人たちが、ビートルズはやっぱりすごい、みたいなことを言いはじめて、なら、僕も聴いてみよう、となった。

結果はというと、世の多くの若者のごとく、僕も完全にノックアウトされた。『Please Please Me』や『With the Beatles 』のような初期の正統派ロックから、より内省的な『Help』、『Rubber Soul』などを経て、『Abbey Road』、『Let It Be』へ行き着く様は、壮麗な大河小説のようで、アルバイトで貯めたお金で買ったCDを初めてミニコンポのディスクトレイに入れる時は、ドキドキした。

ビートルズの個々のアルバムについては、いつか書くことがあると思うが、今日は、キャヴァーン・クラブの話。これは、大阪梅田にあったライブハウスで、ビートルズのコピーバンドが演奏していた(残念ながら2019年に閉店しました)。ここには、大学時代けっこう通った。中学のときから仲のよかった友人が三人いて、彼らは、みな実家を離れて大阪の大学に通っていたので、土曜の夜なんかに阪急のビックマンで待ち合わせ、そのへんの定食屋とか居酒屋で軽く腹ごしらえをした後、キャヴァーン・クラブへ出かけるというのが年に数回あって、ある意味僕たちの同窓会のような意味合いを持っていた。

梅田といっても、キャヴァーン・クラブがあるのは兎我野町。なので、阪急の駅からは、阪急ナビオ(今はHEPナビオですね)の北側の狭い通りを東へ向かい、新御堂筋を渡り、さらに南下しなければならず、徒歩で10分以上はかかったはず。こうやって、文字にして説明すると実に簡単そうな道程だが、地図上の平面世界と実際の三次元世界とは全く別物で、こと梅田に関してはこの差が顕著だ。僕はそれまで神戸三宮が日本一の都会だと思って育った純粋無垢な少年だったので、大阪梅田の高層ビル群 、縦横無尽に入り組んだ通りと路地と歩道橋、迷路のような地下街は、魔界都市のようで、そこかしこで遭遇する酔っ払いのおじさんたち、派手な格好のお姉さんたち、愚連隊っぽいお兄さんたちを見ては、都会はすごいところだと感心した。阪急のあの巨大ターミナルの一番端の神戸線のホームに降り立つたびに戦々恐々とし、大阪の生活にすでに馴染みつつあった友人たちに道案内をしてもらっていた。

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キャヴァーン・クラブは、何ていうかとても品のよいライブハウスだった。年齢層は割と高め、その分お値段も少し高め、当時はバブル景気の最後期の、日本経済がまだ繁栄を謳歌していた時代で、綺麗なスーツをピシッと着こなした男性や着飾った女性が客の中心だった。なので、大学生の僕たちはちょっと浮いていたと思う。今なら、バーボンのボトルなんかをキープするんだろうけど、当時は何とか安く済ませようともっぱらビールだった。

バンドに演奏してほしい曲があれば、紙にリクエスト曲を書いて店の人に渡すという、とても単純明快なシステムだったと思う。新しいアルバムを開拓する過程で好きになった曲たち、例えば、「Please Mister Postman」や「Mr. Moonlight」、「 No Reply」、「 In My Life」、「 Here There and Everywhere」、「 Happiness Is a Warm Gun、「 Oh Darling」、「Get Back」 なんかをリクエストして、その曲が演奏されれば喜び、リバプールのキャヴァーン・クラブもこんなんやったのかな、と思いを巡らした。店を後にした後はカラオケでビートルズや他の曲を思う存分唄い、友人のアパートに泊めてもらい、次の朝元気に帰宅した。

この三人の友人のうち一人は、その後、ギターとベースにけっこう真面目に取り組むようになり、もう一人は、大学を卒業した後、音大に入り直した。これとは対照的に、僕には全く音楽的才能がなく、ギターもちょっとかじったがてんでダメで、ビートルズはもっぱら聴いて楽しむだけだった。だけど、あの当時覚えた歌は今でもちゃんと口ずさめて、意味もよく知らず覚えた歌詞が今なら普通に理解できるのは、自分も少しは成長したことの証だろうか。

追記

今は愛してやまない梅田ですが、その複雑怪奇さには、今だに困惑させられることがしばしばあります。東京新宿もよく複雑だと言われるけど、こちらは、JRの駅を中心に東西に分けて考えると割に気安く散策できるけど、梅田はなかなかそうは行きません。阪急から谷町線の東梅田とか駅前第一ビルとかに行けと言われれば、今でも道案内の標識が必要です。何かコツはないもんでしょうかね。