歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

早春の東京を思う

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僕の住むアメリカ東部のこの街は、夏は長く蒸し暑く、冬は適度に寒く、気候的には関西や東京とよく似ている。2月はまだまだ冬だが、ときに寒さの緩む日もあり、今日、このブログの記事は、二階のバルコニーの椅子に腰掛けて書いた。頬に当たる風はまだ少し冷たかったが、太陽の光はぽかぽかとぬくく、そのまま昼寝したい気分だった。もう春間近で、普段それほど変化のない生活を送っているような僕でも、ほんの少しだが気持ちが浮き立つ。 我が家の柴犬くんとの毎朝・毎夕の散歩時、今日はもう一つ向こうの池まで歩いてみようか、という気にもなる。

仕事柄3月から4月は繁忙期で、この時期に日本を訪れることはほぼ不可能だ。最後に春を日本で過ごすことができたのは、もう14、5年前、幸運にも仕事で東京に長期滞在していたときだった。2月になると、沈丁花が上質な舶来石鹸のような匂いを運んで来て、梅の甘い香りがただよい、クロッカスが咲き、日差しがどんどん柔らかくなり、ついに桜の季節が訪れる。そんなことを思っていると、あの時住んでいた中野のマンションやら、外濠公園や新宿御苑の桜やら、中央線や丸ノ内線の駅々の映像が蘇ってくる。

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あの時の東京滞在は、10ヶ月に及び、生粋の関西人である自分には多くの見聞が実に新鮮で刺激的だった。春になってからは、滞在の終わりが近づいてきたこともあり、地下鉄の一日券を使い、暇を見つけては東京の街ーー中野・新宿近辺だけではなく、仕事関係でも友人・知人との交際でも訪れる機会のほとんどなかった東側ーーを貪欲に歩き回った。隅田川に沿った水際の風景を見ると、何となく大阪の淀屋橋・中之島界隈を思い出しほっとした。根津・谷中・千駄木では、東京の中心部にこんな古い面影を残す場所があったのかと驚いた。北千住は、安いお酒が気軽に飲めて重宝した。

当時は、仕事と人間関係のことでいくつかの選択を迫られており、ともすれば暗鬱な気分に陥ることもあったが、早春の日差しを受けながら、新しい場所を散策・開拓することは精神衛生上、非常に好ましかったように思う。もっと長く東京に住んでいたら、いろいろと嫌なことも目につくようになったと思うが、10ヶ月という限定された期間の滞在だったので、蜜月のまま、名残惜しい気持ちを抱いたまま東京に別れを告げることができたのは幸運だった。

冬の終わりから春にかけての、あの季節の移いゆくさまと、それにまつわる高揚感を日本でもう一度体験してみたいと思うのだが、僕がこのアメリカで今の仕事を続ける以上、それはおそらく叶わぬ夢のまま散っていくだろう。

余談だが、ユーミンには春先にまつわる歌がたくさんある。中でも、アルバム『OLIVE』(1979年)収録の「最後の春休み」は秀逸。春の高揚感ではなく、学校を卒業して好きな人ともう会えなくなるという、春特有の喪失感、過ぎ去っていくものへの郷愁を歌った胸キュン歌。ハイ・ファイ・セットもカバーしている。

もしもできることなら この場所に同じ時間に
ずっとずっとうずくまっていたい
もうすぐ別の道を歩き思い出してもくれないの
たまに電車で目と目があってももう制服じゃない

こんな切ない思いを最後に体験したのはいつだろう。。。