歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

上高地の流れ星

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出典:pixabay (https://pixabay.com/ja/photos/上高地-河童橋-梓川-日本-356968/)

僕の住むアメリカ東部の街は、決して大都会と呼べるほどの規模ではないが、それでも、日が暮れてから帰宅するときなど、高速の向こうに見えるダウンタウンのビル群は煌々と輝いていて、ここがいっぱしの近代都市であることを実感する。

ここ数週間ほど、仕事の関係で自分の街からかなり離れた田舎の道を日が暮れてから運転することが多かったのだが、自分の住む街との歴然たる違いは、何と言ってもその暗さのレベルだ。アメリカの田舎というのは、隣家へ行くにも車が必要なほど人口密度が低く、商業施設も少なく、街頭もほとんどなく、したがって、漆黒の闇に覆いつくされていて、こんなところで車が故障したら、山賊や妖怪に襲われてしまうんじゃないだろうか、と本気で心配してしまう。ただ、その分、星の明るさと美しさは別格で、我が家のバルコニーから見るくすんだ青白い夜空と同じとは到底信じがたい。

数日前、例によって例のごとく浜省や拓郎やなんかを聴きながら、フロントガラスの向こうに広がる田舎の夜空を見ていると、ずっと昔、もう30年以上も前の夏、上高地で見た流れ星たちのイメージが突然蘇ってきた。

上高地へ行ったのは、当時ちょっとだけ真面目にやっていた部活動との関連でだった。部活の顧問の先生方に引率され、僕たちは槍ヶ岳へ登り、そこから上高地へ下山した。槍ヶ岳登頂まではけっこう過酷だったが(それは、体力的にという意味で、先生方も部員もみんないい人たちでした)、そこからはひたすら下るだけで、上高地に着くと、大仕事をやり終えたという高揚感と、もうあんなしんどい思いはしなてくてもいいのだという解放感で、自分も含めてみんな饒舌で妙に明るかった。

上高地には確か2泊したのだが、もう早起きして山に登る必要もなかったので、みんな夜更しして、懐中電灯を片手に肝試しに出かけたり、ちょっとマセた部員たちは、公衆電話を見つけて地元の彼氏・彼女にテレホンカードがなくなるまで長距離電話をかけていた。

僕はといえば、上高地では流れ星が見えるらしいで、という友人の言葉に誘われ、数人で流れ星探しに興じた。僕が育ったのは神戸の郊外の小さなニュータウンだったが、それでも流れ星が見えるほど綺麗な夜空ではなく、「流れ星」という言葉は少し現実離れして聞こえ、好奇心をそそられた。といっても、僕たちにできることは、草の上に寝転びひたすら待つのみ。8月の上高地は、昼間こそ観光客や登山客で賑わっていたものの、夜のとばりが下りると、驚くほどの暗闇と静寂に支配され、それらは、僕がそれまで全く経験したことのなかった度合いの暗闇と静寂だった。そんな中で見る満天の星々は神秘的で、まるで異世界に放り込まれたような錯覚に陥った。

僕たちは、各々好きな方向を向いて、流れ星を待っていたのだが、しばらくすると、あ、見えたで、ほんまや、という声が聞こえ始めた。僕は、当時とても慕っていたひとつ上の先輩の隣に寝転んでいたのだが、我々のところにはまだ流れ星がやって来ない。それでも、流れ星を見ながら願いごとをすると、願いがかなうらしいで、とかいう話をしながら、根気よく待っているとついに流れ星第一弾が到来。それは、線香花火が弾けたようなとてもはかなげなものだったが、それは確かに流れて、そして消えた。それからは、運が回ってきたようで、数時間の間に複数の流れ星を見ることができ、僕は上機嫌だった。そんなことで興奮していたのか、あるいは、翌日には上高地を去り旅が終わることが名残惜しかったのか、眠気に負けた他の友たちが一人二人とテントへ帰っていく中、その先輩と二人で明け方近くまで外で話し込んでいた。ある夏の良き思い出だ。

流れ星といえば、吉田拓郎のこの歌、好きだなぁ。