歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

阪急北千里

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あいにく北千里の写真がなくて、これはひとつ手前の山田駅

阪急の千里線は、大阪のターミナル梅田と千里ニュータウンの中心駅のひとつ、北千里とを結ぶ典型的な郊外電車の路線だ。神戸線や京都線が都市間輸送の大動脈でほぼ一日中せわしないのに対し、千里線はどこかのんびりしている。昼下がり、がらんとした車内で「かんだいまえ〜」、「せんりやま〜」、「みなみせんり〜」、というアナウンスを聞きながら、夢の中へまどろんでいくのは実に心地よい。

その昔、神戸に住んでいた時分、とても懇意にしていた友人が北千里に住んでいた。なので、北千里へはよく行った。

彼女とは勤務先で知りあい、妙に馬が合ったのか、感性を共有していたのか、数ヶ月の内にすっかり打ち解けてしまい、そのうち、一緒に食事をしたり週末出かけたりするようになった。彼女は僕より十年上で、仕事の経験も人脈も豊富だったので、彼女を通して多くの人と知り合うこともできた。当時の僕の住処は神戸の東灘。なので、阪急の梅田界隈で会うことが多かったが、天六や天王寺へも行った。当時ボストンに住んでいた彼女の妹さんが年末年始の休暇で大阪へ帰省したときには、僕の相方も交じえて4人で神戸に遊んだ。

彼女との友情は、僕が渡米してからも続いた。定期的に電話で話したり(当時は、スカイプやラインなんてまだなかった)、日本から食べ物を送ってくれたり、こちらからちょっと珍しいものを送ったり、一時帰国の際には、彼女と夫の住む北千里のマンションに泊めてもらったり。そのうち、ご両親――こちらも北千里に住んでいた――に紹介され、なぜか僕は、彼らにも相当可愛がられて、食事に呼ばれたりするようになった。自分の人生を振り返ってみると、非常に密度の濃い友達付き合いをした人が何人かいるが、彼女は確実にその一人だった。

千里ニュータウンを含む大阪府北部の街々、いわゆる北摂は、僕にとってそれまではほとんど未知のエリアだった。あのあたりは、阪急の宝塚線と千里線、北大阪急行などが走っていて交通至便ではあるが、車でないと行けない穴場的な場所もけっこうあって、彼女と彼女のご家族のおかげで色々なところを見ることができた。

しかし、彼女との友情はある日、突然終わった。あまり詳しくは書かないが、自分の方にかなりの責任があることを認識している。今から考えると、きっかけはほんのささいなことだった(と、少なくとも僕はそう思っている)のだが、当時の僕はなぜか強くこだわってしまい、図らずも事態を悪化させてしまった。あの時もう少し思慮深い言動をとっていれば、もう少し真剣に彼女の気持ちと向き合っていれば、と今でもふとそんなことを思ってしまう。この「事件」があってから、何度か電子メールのやりとりはしたが、結局もとの友情が戻ることはなかった。これは僕たちの友情が表面的な関係に過ぎなかったからなのか、あるいは、友情とは元来かくも脆弱なものなのか、それは分からない。いずれにせよ、とても大切な人を僕は失ってしまい、もう取り戻すことはできないということだ。

今となっては、阪急千里線の終点である北千里まで出かけていく用はほとんどないのだが、梅田や天六や淡路の駅で北千里行きの電車を見ると、今でも懐かしい思いがこみ上げてくる。もしかしたら、ここで偶然会えるかなと思ったりするのだが、田舎のローカル線ならいざ知らず、大阪という大都会の駅でそんな偶然が実現する可能性はすこぶる低い。