歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

復活祭のゆるい日曜

f:id:kazearuki:20220418063403j:plain

今日は復活祭、いわゆる「イースター」の日曜だった。敬虔なキリスト教徒の多いアメリカでは重要な祝日だ。復活祭は太陰暦をもとにした祝日なので、日付は年によって変わるが、たいてい4月中の日曜に当たるので、春の始まりともとらえられていて、キリスト教とは全く関係のない僕でも、復活祭が来ると、ああ春だなとほんの少しではあるが心が浮き立つ。しかし、アメリカは広大な国であり、フロリダではもうすでに夏の陽気だったりする一方で、中西部ではまだ普通に雪が降っていたりするのだが。

個人主義が徹底しているように見えるアメリカだが、祝日には家族で集まって食事をするという伝統は今だとても強固で、12月のクリスマスと11月の感謝祭はその最たるものだ。これら二つは、日本の正月以上に、家族で集まらねばという観念に支配された祝日で、僕も、パンデミックが始まるまでは、感謝祭は相方と一緒に彼の実家のある街へ旅して、家族としての「義務と責任」を果たしていた。

クリスマス・感謝祭というとても真面目で、ある意味、とても窮屈な祝日に比べると、復活祭はけっこう「ゆるい」。宗教的に「ゆるい」という意味ではなく、家族の儀式としての意味合いが「ゆるい」ということだ。祝日といっても翌日の月曜からは普通に仕事・学校なので、国をまたいだ大帰省はそれほど一般的ではなく、自宅でくつろぎながら食事、という人の方が多い。なので、僕は復活祭がけっこう好きだ。家でダラダラしていればいいし、近所のカフェもバーもスーパーも普通に開いているので、通常の都市生活の恩恵から排除されることもない。

それでも、パンデミック以前は、ちょっと遅めの朝食を取って、午後は復活祭のパレードを見に行ったり、夕食は近所の同僚の家へ呼ばれていったり、けっこう忙しくしていたのだが、パンデミックが始まってからは、パレードはずっと中止が続いており、人の家へお呼ばれしていくこともめっきり減り、ますます「ゆるい」祝日となっている。

今年は、ここ数週間出張なんかもありバタバタしていて、土日もついつい仕事をしていたのだが、復活祭の今日は絶対に仕事をしないと覚悟を決めて、朝から好きな小説複数を手元に置き適当に頁をめくって読んだり、ちょっと運動したり、柴犬くんと朝寝したりと、なかなか充実していた。ブランチには、近所のパン屋で、あとはオーブンで焼くだけとなっているクロワッサンを買ってきて、家で仕上げ、焼きたてのものをたっぷりジャムで楽しんだ。こういった糖質・脂質たっぷりの食べ物を背徳感なしに食べられるのは、祝日のいいところだ。

さあ、明日からはまた賃労働だ。

f:id:kazearuki:20220418063636j:plain

このあたりは、ハナミズキが見頃です