歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

幻想の関西

前回日本へ行ったのがパンデミックの始まる直前、2019年の12月だった。ひと月後には2年5ヶ月ぶりの一時帰国が迫っているが、現実感がわかない。日本への国際線のフライトは今だキャンセルや変更が続出しているのは、海外在住者の間ではよく知られており、自分も先週、予約をしてある航空会社のアカウントで旅程を確認したところ、行きの便がまるまる消えてしまっておりぎょっとした。これは航空会社のシステム上の不具合で、予約はちゃんと残っていて、旅程も翌日には復活したのだが、その間冷や汗ものだった。この分では、日本に着いて、諸々の用事を済ませて、アメリカに戻ってくるまでは心休まりそうにない。

僕が渡米した20年前は、日米往復の航空券は今よりずっと安く、関空ー北米諸都市の直行便もけっこうあったので、空の旅がとても気軽だった。記憶に間違いがなければ、カリフォルニアから関空まで1000ドル以下で飛べたので、安月給の自分でも普通に年に1度は一時帰国することができた。そもそも渡米を決めたのも、国境を超える旅が非常に安価で、いつでも日本へ帰れるという気安さがあったこともその背景にあったと思う。

そんなことを思い出しながら今の状況を見ると、隔世の感がる。旅に付随する不安やイライラ、手続きの煩雑さを思うと、もう以前のように日本への旅を気軽に計画することはできない。

もちろん今でも心は日本にあり、日本を思わない日はないのだが、その一方で、もう20年もこちらにいると、こちらの暮らしが自分にとっては日常であり現実だ。ここには大切な人(犬を含めて)もいて、大切な場所もあるので、それらにサヨナラを言ってここを去るには、おそらく革命的な決断が必要になるだろう。自分の腕の中で気持ちよさそうに眠る柴犬くんを見ていると、ここが自分の居場所なんだと改めて実感するし、2年と5ヶ月という長きに渡って日本へ帰れていないことが思ったほどに悲劇でもトラウマでもなく、それなりに楽しくやっていることに我ながら少々驚いたりもする。

このブログでは、神戸や大阪や阪神間がいかに懐かしいかをしつこく綴っているわけだが、僕が恋い慕う様々な場所――阪急岡本の駅前、住吉川沿いの散歩道、甲南商店街、トアロード、モトコー、夙川沿いの遊歩道、天六・天満の商店街、北浜の街並み、夕陽丘と四天王寺などなど――とそれらの場所の匂いや空気の肌触り、様々な人たちとの邂逅は、渡米してから20年経った今となっては、僕の記憶の中にのみ存在していて、少し注意を怠れば(=思うのを止めてしまえば)たちまち雲散霧消してしまうような独りよがりの幻想に過ぎないことは、もう充分すぎるほど承知している。なので、その幻想を現実世界に再現しようとする意図は毛頭なくて、幻想を幻想として楽しめればそれで充分だと思っている。

おそらくこんなふうにして、僕は、自分の生まれ育った関西という土地を忘れていくのだと思う。今は、まだこの目で見、この手で触れ、この鼻で匂いを嗅ぐことのできる実際の場所に未練があるけれど、あと5年、10年、15年と経てば、幻想(あるいは思い出)だけで満足し、いつかは、その幻想さえももっと別の新しい、より魅力的な幻想にすり替わっていくのだと思う。自分の愛してやまない関西をそんなふうに忘却していくことは、悲しく恐ろしいことだと一方では思うけれども、人の記憶と感情とは所詮そんなものなんだろうとも思う。

今日は、一時帰国がそこまで迫っていて嬉しい、という話をするつもりだったのに、なぜか暗い話になってしまったが、要は、やはり関西が懐かしい、ということです。