歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

ゲッツ/ジルベルト

僕が思春期を迎えた頃というのは、貸しレコード屋なるものがまだ普通に存在していて、そこで様々なLPを借りてきてテープにダビングしたり、三宮や元町の中古レコード屋を物色したりして音楽を嗜んでいたわけだけど、高校へ入る頃になると、CDの勢いが急速に増してきて、あっという間にレコードが市場から消えていった。僕も親にねだってCDプレーヤーを買ってもらってからは、完全にCDへと移行した。ちょうどその頃、通っていた高校の近所にけっこう大きなツタヤができて、そこで驚くほど安価でCDがレンタルできることが分かったのも、この移行を後押しした要因のひとつだった。

スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトのアルバム『ゲッツ/ジルベルト』は、ツタヤで一番始めに借りた何枚かのCDの一枚だったと記憶している。ゲッツは名前は知っていたが聞いたことなかったし、ジルベルトに関しては彼が一体何者であるか全く予備知識がなかった。もちろん、ボサノバという音楽のジャンルがあることなど知るよしもなかった。では、なぜこのアルバムに手が伸びたのか。それは、ひとえにミニマリストなオレンジ色のジャケットがとてもオシャレに見えたからだった。

家に帰って早速聞いたが、いやぁ、あの時の衝撃は今でも忘れられない。ボサノバというのは、僕がそれまで知っていたどんなジャンルの音楽とも違っていた。なめらかで、涼しげで、優しく、都会的で、初夏の乾いたそよ風がすっと体を抜けていく、そんな感じだった。スタン・ゲッツのサックスは、甘くロマンチックで、といっても、全く押し付けがましくない甘さで、アストラッド及びジョアン・ジルベルトのボーカルは、何かしらとらえどころのない浮遊感が妙に心地よかった。このアルバムにはけっこう陶酔して、それから何ヶ月間か部屋でずっとかけっぱなしにしていた。ただ、ボサノバというのは、聴くと元気が出るというより、まったり、とろ〜んとしたまどろみの世界へいざなわれる類の音楽で、朝、このアルバムを聴いてから学校に行くと、管理・統制された学校生活がいつも以上に窮屈に感じられ、自由な大人の世界への憧れが募っていったのをよく覚えている。ま、その当時は、大人の世界がかくも苦難に満ちているとは当然知らなかったのだが。

それからは、けっこうボサノバを聴きこんだ。時代的にも、小野リサとかが現れて、日本でもちょうどボサノバの認知度が高まっていたときだった。ジョビンの『波』は、『ゲッツ/ジルベルト』と並んで、今でも僕のお気に入りで、気持ちがやさぐれているときなど抜群の鎮静効果がある。カルロス・リラとかナラ・レオンなんかも聴いて、ブラジルのポルトガル語とはなんと美しい言葉なのだろうと思った。

この『ゲッツ/ジルベルト』は、もう30年以上聴いていることになる。このアルバム自体に人を捉えて離さない不思議な力があるのか、あるいは、感受性豊かだった思春期に聴き込んだ音楽はいつまでも体が覚えていて、自分の感性そのものを形成する重要な要素になるのか、それはよく分からないが、おそらくこのアルバムはこれからもずっと大事に、車の中や、就寝前のベッドで聴いていくんだろうと思う。ただ、我が家の柴犬くんが、なぜかサックスやトランペットなど管楽器系の音が嫌いで、これらの楽器の音を聞くととても不安がってしまうので、聴く時と場所を慎重に選ばねばならないのは少々困るんですけど・・・。