歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

四谷で我が家の柴犬くんを思う

今回の日本滞在もあと1週間足らずで終わり、来週の頭には米国東部のわが街へ帰ることになる。

今は東京で仕事をこなしており、宿はいつもの四谷だ。パンデミック以前は半年おきに来ていたので、変化があったとしても緩やかで、あくまで自分の想定内のことが多かった。が、今回は図らずも2年5ヶ月という長きにわたる空白期間があったので、けっこう戸惑うことも多い。大阪の北浜もそうだったが、四谷も随分変わっていて、よく行っていた呑み屋や床屋や服のお直しの店がなくなっていて、新たな店を開拓せねばならない。安定と反復を好む自分としては、少し寂しい気分だ。

安定と反復といえば、我が家の柴犬くんと別れてすでに数週間、彼のいない非日常の中に生きていることは精神的にやはり厳しい。もちろん、日本滞在は楽しい。自分の地元の町も北浜も千里も元町も新開地も四谷も神保町も、どこも皆素敵な場所で、再訪を通じて様々な思いや感情を整理することができ、それはとても大切な体験だ。ただ、我が家の柴犬くんと全くコミュニケーションが取れないのはもどかしい(人と違って犬は、ラインでビデオ通話することは難しいですからね)。

四谷のドトールやサンマルクやスタバやなんかで、仕事のメールを書くとか資料を読むとかいうごくごく日常的なことをしている合間に、ふとぼんやりすることがあって、そんなときに、ああ、今晩帰る場所に○○君はおらんのやなぁ、と彼のことを思っている自分がいる。そんなときは、彼のやわらかな毛並みや、使い古した毛布を日に干したような香ばしい匂いが、無性になつかしくなる。

思うにパンデミックが始まってからのおよそ2年半、柴犬くんとは文字通り寝食をともにしてきた。その間、僕が泊まりで家を空けたのは3泊の出張のみ。相方と僕は、毎日毎日、彼のために食事を作り、一緒に散歩に行き、ソファで一緒に昼寝し、ベッドで一緒に寝、ときに泊りがけで旅行へ出かけた。こんな日常の安定と反復が、自分でも気づかぬうちに、自分の生活のかけがえのない一部になっていたようだ。「依存」という言葉を使うと、それがあたかも治療を必要とする病理的問題のように聞こえるので嫌なんだけど、では、この感情を何と呼べばいいのか。強烈な恋しさというか愛しさというか、そんなところだろうか。

それにしても、我が家の柴犬くんも今では老犬と呼ばれる歳だ。保護犬として我が家にやって来たので、そのときにはすでに成犬、よって仔犬時代の彼を我々は知らないが、それでも我々にとって彼はいつまでも子供、幼い王子様のようなもの。そんな彼が、遠くない将来、確実にこの世界からいなくなってしまうわけだ。今、会えなくて寂しいとか言っているが、この寂しさは来週になれば終わる一時的な寂しさだが、彼が本当にいなくなった後、もう二度と彼に触れることも彼の匂いをかぐこともできなくなった後の寂しさというのは、この何倍も何十倍もの密度と強度でやってくるのだろう。そのときの寂しさを、おそらく相方も自分もいつかは乗り越えるのだろうが、いかに乗り越えていくかはうまく想像できない。

四谷とはあまり関係ない話題でしたね。あいすみません。

鈴傳はちゃんとありますね

 

seisoblues.hatenablog.com