歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

さよなら日本、また会う日まで

今日の四谷

というわけで、日本滞在最終日。3週間はあっという間だった。今は羽田で搭乗待ちだ。

いつもデルタを使っているのだが、いつのまにか成田から撤退していて、今はすべてのデルタ便が羽田発着になっている。都心からは羽田の方が断然近いし、交通の便もよいので、これは歓迎すべきことなんだろうけど、僕は、けっこう成田(というか、成田へと至る道程)が好きだった。上野からの京成スカイライナーは、空港―都心間の輸送に特化しているので、ほとんど混むこともなく、広い座席で快適に成田まで出ることができた。

上野という空間も好きだった。今でこそ、長距離列車の終着駅としての機能はほとんどないが、それでも、JR上野駅の広々とした駅舎は在りし日の面影を残しているし、東北方面の行き先を電光掲示板に見ると、旅の情緒みたいなのが感じられた。ま、自分の場合は、東北ではなく、京成で成田へ行き、そこからアメリカへ帰るわけだが、上野にいると、日々東京を離れていく、あるいは東京へやって来る何千何万という旅人の一人なんだなぁ、とちょっと感慨深かった。

米国への帰国当日はちょっと早めに上野へ出て、スカイライナーに乗る前によく上野公園を散歩した。あそこは、上野という大都会のど真ん中にありながら、都会の喧騒からは隔絶されていて、いかにも「祭りのあと」という感じだった。不忍池のほとりをそぞろ歩いていると、いよいよこの旅も終わりなんだという実感が湧いてきた。ここで、日本にしばしの別れを告げ、再会を約束し、京成上野へ向かった。

今では、自分の生活の基盤が米国にあり、日本へ戻ることはもうない、という冷酷な事実とそれなりに折り合いをつけて生きているが、数年前まではまだ迷ったり悩んだりすることも多々あり、当時は、日本滞在の最終日に上野公園を散歩していると、胸が締め付けられるように悲しく、せめてもう1日、いや、もう半日、日本に残ることができればと願った。少々大げさだが、それは、恋人との久方ぶりの逢瀬のあと、再び引き離されるような感覚だった。

ま、何はともあれ、上野から成田へ至る道程には旅の情緒を醸造する雰囲気があったのだが、羽田の場合はそうは行かない。羽田―都心間の京急は、通勤・通学電車でもあるので、常時混み合っていて、大きなスーツケースを持っている自分の存在が申し訳なってしまう。また、上野と違って新橋や品川には旅の情緒も何もあったものじゃないし・・・。

そんなわけで、今日はタクシーで羽田へ来た。ここのところ殺人的な暑さが続いているので、タクシーの方が体力の消耗も少ないと判断した。定額タクシーなんていう便利なものがあることを今更ながら発見したし。

今回の日本滞在については追々書いていくつもりだが、久々の日本はやはりよかった。よく知った場所、新しい場所、けっこう歩き回った(めちゃくちゃ暑かったですけど)。長らく会えなかった人にも会えて、たくさんの元気と少しの自信をもらった。柴犬くんの待つ(待っているかな?)米国の我が街へ帰ることは、もちろん楽しみで精神的な準備もできているが、自分の人生の半分以上を過ごした愛しき日本を去る日は今でもちょっぴり辛い。僕の大好きな人たち、場所たちが、帰っておいでよ、と優しく手招きしているかのように、後ろ髪を引かれる思いだ。ま、そのような気持ちも、向こうへ帰って仕事が始まればすぐに忘れて、もとの日常に戻っていく、ということも長年の経験で知っているのだが。

では、日本よ、今こそ別れめ。いざ、さらば。また会う日まで。