歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

ああ、高架下(神戸元町)

元町高架通商店街、モトコーは、JRの元町駅から神戸駅の間の高架下にある商店街。僕たちは、子供の頃は単に「高架下」と呼んでた。高架下といえば、JRの三宮から元町にかけての高架下にも商店街があるが、今日は、元町〜神戸の高架下の話。敗戦直後の闇市に起源を持つ商店街で、元町の方から1番街が始まり、7番街まで約1キロにわたって続く。

僕にとって高架下は、新開地と並んで、神戸の中でも最も神戸らしい場所のひとつで、そこには神戸の原風景がある。とにかく子供の頃から、ちょっとゴチャゴチャした都会的混沌、港町的エキゾチシズムを感じさせる場所が好きだったので、あれは確か14の頃、JR元町(ちょうど、国鉄からJRへ民営化されたころでした)の駅をちょっと西に行った高架の下に商店街があるのを発見したときは、興奮ものだった。当時は、もちろんネットやSNSなんてものはなく、どこに何があるのか、とにかく自分の足で歩いて探索するしかなかった。

三宮〜元町の高架下が多くの買い物客で賑わうけっこうメジャーな場所だったのに比して、元町〜神戸の方の高架下は、昼間でもちょっと薄暗く、人通りもまばら(この傾向は、西へ行くに連れて、つまり、神戸駅の方へ行くにつれてより顕著になった)、でもその分、気のいい地元のおじさんとかおばさんが趣味でやっているような個性的な店が多かった。セコハンのレコード店、古着屋、古本屋、中古の電器店、果ては、もうガラクタ屋としか呼ぶしかないような、古いカセットテープやら雑誌やら小物やらが何の脈絡もなく積み上げられて、その横で店番のおじさんがうとうと居眠りしているような店などなど。

これは以前にも何度か書いたが、僕は、高度成長期に量産されたニュータウンのひとつで育って、そこでは街歩きをして何かを「発見」するという経験が極めてまれだった。そんな僕にとって、高架下は完全な異世界であり、夢のような世界であった。そこへ行くと何かしら新しい「発見」があり、すっかり時間を忘れて、あ、もう晩御飯の時間やから帰らなあかんわ、ということがしょっちゅうだった。

高架下では、セコハンのレコードを物色するのに加えて、古着屋にもよく通った。30年以上前の当時は、輸入モノのリーバイスのジーンズがよく出回っていた。まだリーバイスが米国内で生産を行っていた頃で、今のリーバイスよりずっと高品質で、いい具合に色あせて、ちょっと穴があいたりしたのが最高に格好いいと思っていた(今、そんなのをはくとただの汚いおじさんになってしまいますけどね)。古着でも一本5000円以上したと記憶しており、これは、中学生とってはけっこうな値段だった。小遣いを一生懸命ためて、無数にあるリーバイス501の古着の中から好きな一本を選定するのは、大きな楽しみだった。そんなふうにして買ったジーンズは、とても大事にして何年もはきこんだ。

6月の一時帰国中、久々に高架下を訪れた。ほとんどの店はシャッターを閉めており、閑散としていた。ここの商店がJRから立ち退きを求められていることは知っていたが、すっかり活気を失った高架下を実際に自分の目で見るのは、やはり驚きであった。すぐれて神戸的な都市空間がこうしてまたひとつ消滅していくわけだ。

僕は、ユニクロも無印もニトリもスターバックスもサンマルクも好きだし、こういったお店がそれなりの品質のモノを安価で提供し、市場と消費の民主化に貢献していることも理解している。ただ、最近の日本の都市の駅前風景は、どこへいっても大資本のチェーンのお店に支配され、画一化がかなりのスピードで進んでいるようで、もし元町もそうなっていくとしたら、それはちょっと悲しいことのように思える。