歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

帰らない時間、あの頃の僕

時間の不可逆性、つまり、過ぎた時間は二度と帰ってこない、という当然のことを5年ほど前、40代なかばに差しかかった頃から真剣に考えるようになった。それまでは、仕事においても私生活においても、失敗しても、寄り道しても、立ち止まっても、ま、何とかなるわ、と前向きに、ある意味能天気に、未来を志向しながら生きてきたのだが、ちょうどその頃から、過ぎ去ったものや人、過去に訪れた様々な場所へ思いを馳せることが飛躍的に増えた。自分の体力的・社会的・経済的限界を意識するようになったのもその頃なので、未来の可能性よりは過去の思い出の方が魅力的になってきたのだと思う。この傾向は、パンデミックで日本へ行けなかった2年5ヶ月という時間を経て、さらに強まったような気がする。

去年は6月と12月の2回、日本へ一時帰国し、懐かしい場所を再訪し、懐かしい人々と再会してきたわけだが、行く先々で、残りの人生であと何度この場所を訪れ、この人と会って話すことができるのだろう、というようなことを幾度も考えた。常宿のある大阪の北浜や東京の四谷、繁華街の三宮や難波や新宿ならいざ知らず、無理にでも用を作らねば自分が絶対に行かないような場所が日本中にたくさんあるわけで、そう思うと、訪ねる一つひとつの場所がたまらなく愛おしく、その場所の空気の匂いとか、陽射しの具合とか、雲の形とかそんなどうでもいいことまでしかと記憶にとどめておきたいと思った。

写真は、小野市にある神戸電鉄粟生線の終点、粟生(あお)駅で、おそらくもう二度と訪れることのないであろう場所のひとつだ。5年ほど前、突然予定が空いた師走の午後、何の計画も立てずに、ふらっと新開地から電車に乗った。赤字続きの粟生線は、当時からすでに近い将来に廃線か、と言われており(と言いながら、今も存続してますけど)、そんなことになる前に、粟生線の終着駅を見ておきたいと思ったのだ。

粟生駅は、新開地から1時間ほど。半田園、半住宅地のような場所に設置された駅で、神戸電鉄だけではなく、JR加古川線と北条鉄道も利用可能な、北播磨の一大ジャンクションだ。と、こんな書き方をすると、さぞ壮大な駅のように聞こえるが、それぞれの電車の頻度は1時間に1本程度。このあたりはほぼ完全な車社会であるので、主な利用客は近隣の学生たちのようだった。僕が訪れた時はちょうど学生の下校時間と重なったようで、静かな田舎の駅もけっこう賑わっていた。

彼らを見ていると、自分の高校時代を思い出さずにはいられなかった。悩みも不安も多く、決してよき思い出ばかりではないが、当時の僕は、世間の多くの高校生がおそらくそうであるように、何の根拠もなく人生は無限だと信じ、高校を卒業したら、大学へ行ったら、大人になったら、とあれやこれや空想していた。空想には何の責任も付随せず、自由気ままであるので、そういった意味ではとても楽しかった。

海外で暮らすというのもその空想の一部で、今の僕はその空想を見事に実現させているわけだが、毎日毎日日本を恋しがり、変えられない現実と戻らない時間に歯がゆさを感じている。果たしてこれが最良の選択であったのか(そもそも最良の選択とは、どんな基準をもっていうのか)、今の自分が真に幸せなのか、全く分からなくなっている。50に手が届こうかという年になっても迷い惑っている僕をあの頃の僕が見たら、一体何と思うだろうか。