歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

「母と歩いた市場への道」

今年78になる母が2ヶ月ほど入院していたのだが、先日ようやく退院した。背骨と肋骨が折れており、その治療のためだった。こけたとか、何かにぶつかったとかいう明確な事件があったわけではなく、長引く腰痛だと思って整形外科を受診したところ、体の両面に骨折があることが判明したのだった。無事完治し退院したとはいえ、骨粗鬆症がかなり進行しているとのことで、これからは日常の生活においても、重いものを持たない、激しい運動をしない(もとから激しい運動する人ではないが)など、いろいろ制約が加わるようだ。

母は、感情的な人だ。僕が幼かった時分は、感情的な、もっといえば情緒不安定的な側面はなるべく見せないようにしていたのだろうけど、僕が十代なかばにさしかかった頃、つまり、ひとりの少年がそろそろ大人の仲間入りをし大人の話を真面目に聞けるようになる頃から、そういった側面を隠すことが少なくなったような気がする。親戚づきあいで問題があったとき、父の浮気が疑われたとき、妹の恋愛問題がこじれたときなどなど、母はそのたびに取り乱して、泣いて、激昂した。僕は、母親とはそんなもの、悲しいときには泣くもの、それが普通だと思って育った。

以前にも書いたが、僕がカムアウトしたとき、母は、やはり泣いた。それは、涙が頬からすーっと流れる、という程度の泣き方ではなく、顔を真赤にして、感情的な言葉を口走りながら、涙をボロボロ流す、多分に「映画的」な泣き方だ。自分が母によって受け入れられなかったことは悲しかったが、母が泣いたという事実には驚かなかった。もうその頃には慣れっこになっていたからだ。

とは言っても、普段の母は優しく愛情深い人だった。当時の中産階級の既婚女性の多くがそうであったように、母は専業主婦で、子供と夫の幸せを自分の幸せと信じその人生の大半を過ごしてきた。趣味も持たず、友人づきあいといっても、せいぜい今で言う「ママ友」とのたまのお茶程度で、金のかかることは一切せず、すべては子供のため、という生き方だった。「子どもが世界で一番大事」みたいなことを子どもに直接言うような人で、それは、子どもの自己肯定感の形成という観点からはよいのかもしれないが、一方で、そういった発言は子ども心にけっこう重くもあった。

三人の子どもがすべて独立し、長年連れ添った伴侶を亡くした今、母の生活は孤独だ。今回の怪我と入院を通して孤独度は増幅され、感情の浮き沈みも激しくなったようだ。妹たちはそれほど遠くに住んでいるわけではないので、定期的に訪れているし、僕も2、3日おきに電話で話しているが、皆それぞれ仕事と生活があるので、四六時中かまっているわけにもいかない。それは子供と孫に囲まれて幸せに暮す、という母が夢見てきたであろう老後とは大きくかけ離れている。電話越しに涙声で体の辛さや精神状態の不安定さを訴える母の声を聞くと、可愛そうで近くにいてやりたいと思う一方で、どう反応していいのか分からず戸惑ってしまうのも事実だ。

このブログでは神戸と阪神間を中心に、自分の好きな場所、思い出の場所について、自己満足的にうだうだ書いているが、母との思い出の場所というのはあまり思い浮かばない。これが父となると、彼の最晩年に一緒に行った沖縄や広島の江田島などいろいろある。もちろん、これらの旅行には母も同行したのだが、父の希望で訪れ、父の見たいものを見、父の食べたいものを食べた、という点において、これらはやはり父の旅行であった。考えてみると、母はいつもこんなふうで、夫のしたいこと、子供のしたいことを優先してきたので、自分から、あんなことをしたい、あそこに行きたいと自分の希望を表明したことはほとんどなかった。

ふきのとうの歌に「ふる里に春が来た」というのがあって、個人的にとても気に入っている歌なのだが、その2番に次のような歌詞が出てくる。

頭を垂れた麦の穂は
案山子と夕日の中
母と歩いた市場への道
ふる里に夏が来た

僕が育ったのは、こんな牧歌的で叙情的な田舎町ではなく、無機質な団地の町で、「麦の穂」とも「案山子」とも無縁だったが、この歌を聞くと、幼い頃、近所のトーホー(神戸とその周辺に展開する地元スーパーです)やコープに母に連れられて歩いていったことを決まって思い出す。母との思い出の場所といえば、悲しいかな、それくらいしかない。

この手のブログの記事の締めくくりとしては、母が元気になったら、もっといろんな場所に連れ出して思い出を作りたい、みたいなのが妥当なんだろうけど、母の衰えゆく体力、感情の起伏、そして僕自信の遠い異国での生活などを考慮したとき、これから母と一緒に日帰りなり一泊なりの旅行へ出かけるという可能性はほとんどないと思う。おそらく、母にまつわる思い出の場所というのは、今後もずっと幼い日のトーホーやコープであり続けるだろう。