歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

四谷・鈴傳で十四代を飲む

四谷の駅から新宿通りを四谷三丁目へ向かって歩き、左へちょっと折れたところに鈴傳(すずでん)という酒屋があって、そこには角打ちができる「スタンディングルーム鈴傳」が併設されている。東京のど真ん中にいるのを忘れてしまうほど安価で色々なお酒が楽しめるので、四谷に泊まっている間は何度か足を運ぶのが常となっている。今回は、合計10日ちょっとの四谷滞在中4度も行ってしまった。もっと色々な場所を開拓せねばとも思うのだが、自分の性質上、目新しさや珍しさよりは慣れ親しんだ心地よさをついつい優先してしまい、同じ場所に何度も通ってしまう。これは、大阪でも神戸でも同様だ。

いつもは一人でふらっと行くことが多いのだが、今回はとても懇意にしている年下の友人Kちゃんに誘われて、ここで「十四代」を飲んできた。彼に教えてもらうまで全然知らなかったのだが、「十四代」は日本でとても人気のお酒だとか。これが鈴傳で飲めるのは水曜と金曜のみで、一杯1200円、一人一杯限り。「十四代」のどの種類のお酒だったかはちょっと忘れてしまったが、ふわっと口中に広がるフルーティで甘い味がとても印象深かったので、おそらく吟醸酒あたりだったのではと推測する。

二人とも、まずは「十四代」をそれぞれ一杯ずついただき、その後は、別のお酒をまた一杯ずつ、そして、しんみち通りの居酒屋へと場所を移して飲み直した。パンデミックによる中断があったとはいえ、一時帰国するたびに会っているので、考えてみると、彼との友情(?)ももう6年目に突入だ。過去半世紀の人生においては、様々な人たちが様々な理由で(あるいは、これといった理由もなく)自分の前から消えていったが、逆に、Kちゃんの場合のように、予期せぬ邂逅が思いもかけず長続きしていることもあって、年を取るのは悪いことだけではないなと思う。

おっと、鈴傳とお酒の話でしたね。今日言いたいのは、本当に単純なことで、鈴傳のような立呑みとか、あと、大阪の日本橋でよく行く初かすみのような大衆酒場とか、日本の都市部には気軽に、しかも良心的な価格で酒を飲んで、美味しいものをあれこれつまめる場所がたくさんあっていいよな、ということ。

もちろん、僕の住む米国にも酒を飲む場所はたくさんある。それは、スポーツバーだったり、ビストロだったり、ダイナーだったりするわけだが、昨今の異常な物価高もあって、一杯10ドル(つまり1400円)以下で飲めるところなんて、都市部ではほとんどない。何か簡単につまみたいと思っても、日本の「酒の肴」とか「おつまみ」、スペインの「タパス」みたいな、小皿でちょこっと食べるという習慣がこの国にはない。”Appetizer”(前菜)というカテゴリーがおそらく一番「酒の肴」に近いが、これは一皿でけっこう腹が膨れてしまうし、こちらも一皿10ドルはくだらない。ワイン2杯飲んで、前菜一つ食べて最低でも30ドル、これに税金(州によって変わります)とチップ(最低15%)が加わると、合計40ドル(5600円)近くにはなる。物価高に応じて賃金・給料も上がっているとはいえ、ちょっと飲みに出て40ドルというのは、資本制の中であえぎ苦しむ自分のようなしがない賃労働者にとっては、けっこうな出費だ。

がんばって探せば、もっと気軽に飲める酒場は、どんな街にも必ずある。だが、そういうところは、治安も心配で、昼の明るいうちならまだしも、日が落ちてから、街の散策がてら出かけていこうか、という気にはならない。僕の住む米国東部のこの街にもやはりそういう界隈があって、夜はちょっと敬遠する。

もちろん、米国ならではの酒の楽しみ方もある。たとえば、こちらでは、クラフトビール、つまり「地ビール」生産が盛んで、街のいたるところに、レストランやバーを併設した醸造所がある。僕の米国での暮らしは20年ほど前にカリフォルニアから始まり、その後、中西部、東部というふうに、日本及び太平洋の近くに留まりたいという自分自身の欲望とは明らかに矛盾する東進の動きを重ねてきたが、これまで住んだ3つの州すべてが、クラフトビール醸造所数で全米十位以内に入っている。なので、実に多種多様なクラフトビール体験をさせてもらったし、一時期、けっこうハマっていたこともあった。

米国のいいこともちゃんと書いたので、再び日本の酒場の話。鈴傳に限らず日本の大衆酒場は、やはり落ち着く。何だか古巣に帰ってきたようで、Kちゃんのような気のおけない友といるときはもちろんだが、一人でいても孤独を感じることもなく、かといって過剰なサービスを押し付けられているような気になるわけでもない。親密さと距離感の絶妙な組み合わせが快適で、気持ちよくほろ酔いの気分を味わえる。少なくともその間は、労働生活にはつきものの気が滅入いるような懸案事項を脇に置いておいて、愉快なことだけを考えていられる。そして、何より、車の運転を心配せず心ゆくまで飲めるのがいいですね。

これは、日本に着いた当日、一人で出かけていったときのものです