歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

ボブ・グリーン『1964年春』を読み返す

去年の夏、父の死以来はじめて一時帰国したのだが、実家には、若いときから父が愛読していた多くの本が本棚に並んでいた。それは今も変わっていない。父の持ち物の処分は少しずつ始めているのだが、本は父が長い年月をかけて買い集めたものなので、母もそう簡単には処分してしまおうという気にはならないらしい。

代わりに、と言っては何だが、せめて自分のものは少しずつ減らしていこうと思い、自分の本の整理を始めた。ブックオフに引き渡してしまうには少々名残惜しいようなハードカバーの本は、古本屋を営んでいる大学時代の友人に引き取ってもらうことにした。

パンデミックまでは毎年2回実家に帰っていたとはいえ、本棚を整理したことは一度もなかった。なので、そこは、まるで学生時代のまま時が止まったような小さな空間で、本を一冊一冊手に取り箱に詰めていく作業は、それぞれの本を読んでいた当時の自分や自分を取り巻く環境を思い返す体験でもあった。ページの間から古いレシートやメモを見つけては思わず見入ってしまったり、何故こんなところに付箋が貼ってあるのか、何故下線が引いてあるのかを考え込んでしまったり、思いの外時間がかかる作業だった。

中学生から大学生までの頃、僕は、今よりもっとたくさん本を読み、たくさん音楽を聞き、たくさん映画を見ていた。とても多感だったその頃、僕のお気に入りのひとつはアメリカ文学で、当時は原書で読むほどの英語力は到底なかったので、翻訳ものをけっこう貪欲に読んだ。ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』とか『ガープの世界』なんて本当に好きで、何度も読み返した。サリンジャーは、ちょっと難解だったが、青春時代のやり場のない不安みたいなのには、大いに共感できた(と信じている)。スコット・フィッツジェラルドの描く1920年代のアメリカは、都会的なものへの強烈な憧れを刺激した。

あれから四半世紀以上の歳月が流れた。これらの本に没頭した当時の自分はすでにおらず、それらを手放すことにほとんど迷いはなかった。が、ボブ・グリーンの『1964年春』は、なぜか手放せず、日本国内の電車や地下鉄の中、ホテルのベッドなんかでちょっとずつ読み返した。

ボブ・グリーンは、小説家というよりエッセイスト。長らくEsquireにコラムを書いていた人だ。原書はBe True to Your Schoolという一冊の本だが、日本語翻訳では『1964年春』と『1964年秋』の2冊に分かれている。自分の部屋には『春』はあったが、『秋』はどうしても見つけられなかった。

これは、グリーン自身が1964年につけていた日記がもとになっている。グリーンは、オハイオ州の州都コロンバス近郊のベクスレー(Bexley)という町の出身で、この日記では、当時高校生だった彼の日常がつづられている。内容といえば、今日は友だちと会ってドライブしたとか、バイトに行ったとか、本当に他愛のないもので、今なら、さしずめ、オンラインのブログとかインスタという感じだろうか。

しかし、この他愛のない、ごく平凡な日記が高校生の僕にはとても魅力的だった。グリーンが育ったのは、一般的な中産階級の家庭のようだが、彼自身も彼の友人たちも普通に車を運転し(アメリカのほとんどの州では16になれば免許を取れますからね)、バーガーショップで夜食を食べ、バイトに励み、週末はパーティーに行っていた。一方、僕はといえば、もちろん車なんて持っておらず、家と高校の往復の毎日で、たまに三宮や元町をぶらついて、ちょっと不良(?)の友人に誘われて近所の居酒屋へ行ったりする程度の、いたって健全で代わり映えのしない毎日を送っていた。アメリカの高校生とは何と自由を謳歌しているのだろうとうらやましかった。

あれから30年以上の歳月が流れた。ベクスリーにはいまだ行ったことはないが、中西部には仕事の関係で数年住んだ。その間、オハイオ、ミシガン、インディアナ、イリノイなどで様々な場所を訪れる機会に恵まれた。中西部には、シカゴやデトロイト、ミネアポリスなど大都市もあるが、大半はベクスリーのような、娯楽に乏しい小さな町で、町と町との間に広大なトウモロコシ畑が広がっているのが中西部の典型的な風景だ。随分昔、僕がまだ子供だったころ、『フィールド・オブ・ドリームス』という映画があって、その中にトウモロコシ畑の風景がたくさん出てくるのだが、初めて中西部で実物を見た時は(インディアナでした)、けっこう感慨深かった。

春から夏までは過ごしやすい中西部だが、冬は恐ろしく寒く、これは本当にこたえた。マイナス10度くらい普通で、しかも、陰鬱な天気が何ヶ月も続き、慣れていない人は精神的にやられてしまうかもしれない。実際、僕も、寒さは何とか我慢できたが、1週間も10日も太陽が見えない日が続く鉛色の冬空には辟易した。

個人的にはもう二度と住みたいと思わない中西部だが、グリーンにとってはそれが甘い懐旧の念を呼び覚ます素晴らしき故郷であるわけだ。同じ中西部でも、僕にとってそれが意味するものとグリーンにとってのそれとの間には、絶対に埋めることのできない隔たりがある。

僕の中西部に対する個人的な感情は別として、僕は今でもやはりグリーンの『1964年』が好きで、米国に帰ってきてから、英語の原書を買ってこちらも楽しく読んだ。渡米して20年あまりが過ぎたこの時期にこの本を読み返すという作業は、自分が若い頃持っていた米国文化や海外生活への憧れを再認識する上でとても有用だった。米国で運良く就職でき、永住権も割にすんなり取れて、家も購入して、年に2回は日本へ一時帰国できる程度の給料ももらっており、本来なら満足すべき生活を送れているのに、ここ数年は、日本に帰りたいという欲望が異常なまでに膨れ上がっていて、人生の要所要所で行ってきた数々の選択をことごとく後悔・否定するようなマインドセットになっていたのだが、ボブ・グリーンのお陰で、初心に帰り、今の自分を見つめ直し、今ある自分の生活をもう少し楽しんでみようと思えるようになった。

本一冊で精神状態がこうも変わるとは、我ながら単純だとは思うが、好ましい精神状態がここのところずっと続いていることは確かなので、これを何とか維持できればいいのだけど・・・。