歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

お酒と演歌とカントリーミュージックと・・・

f:id:kazearuki:20220219064459j:plain

日本の流行歌、特に演歌やムード歌謡の世界では、お酒を飲んだら昔を思い出して悲しくなって、というふうな、一人飲みの寂寥や憂いを歌ったものが実に多い。美空ひばりの「悲しい酒」なんて「ひとり酒場で飲む酒は別れ涙の味がする」と、冒頭からお酒飲んで泣く気まんまんだし、八代亜紀の「舟歌」も、「しみじみ飲めばしみじみと想い出だけが行き過ぎる 涙がぽろりとこぼれたら歌い出すのさ舟歌を」と、飲んで泣いて、そして歌う。内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」では、自分を捨てた恋人を長崎まで探しに来たが結局見つからず、「こころこころ乱れて 飲んで飲んで酔いしれ」ながら、「酒にうらみはないものの」と付け加える。日野美歌の「氷雨」では、やはり別れた恋人を思いやけ酒をあおり、「飲めばやけに涙もろくな」って、そのあたりで止めておけばいいのに、最後は「もっと酔うほどに飲んであの人を忘れたいから」と結ぶ。

僕が特に好きなのは、森進一の「盛り場ブルース」だ。この歌では、銀座、北新地、すすきの、天神など日本各地の盛り場を舞台に、「お酒飲むのも慣れました むせる煙草にあなたを思う」、「泣けぬ私の身がわりについだお酒がこの手をぬらす」、「グラス片手に酔いしれて 夢のあの日がお酒に浮かぶ」などなど、お酒によってもたらされる過去への激しい追憶の感情がこれでもかこれでもかと語られる。この過剰さが逆に気持ちよい。

アメリカではどうかというと、こちらにも悲しい一人飲みを描いた流行歌がけっこうある。これは、カントリーミュージックの世界で顕著だ。カントリーミュージックのジャイアント、ハンク・ウィリアムス(Hank Williams)の「There’s a Tear in My Beer」は、「There’s a tear in my beer cause I’m crying for you dear(僕のビールには涙が入っている、だって君を思って泣いてるんだから)」と始まる。これは、ひばりの「悲しい酒」と似ていなくもない。

コンウェイ・トゥイッティ(Conway Twitty)の 名曲「Asking Too Much of the Wine」では、恋人と別れて憔悴しきった主人公が次のようにワインに語りかける。

I’m asking for your help wine
To think that a glass could erase all my past
That’s asking too much of the wine
ワインよ、君の助けがほしいんだ
一杯のグラスが過去をすべて消してくれると思うなんて
それは君に期待しすぎだよね

そうそう、あと、ドワイト・ヨーカム(Dwight Yoakam)の「Two Doors Down」という歌もよい。題は「二つドアの先」、つまり「二軒先」という意味で、二軒先には、別れた恋人とよく行ったバーがあって、そこにはありとあらゆる思い出が詰まっているという、とても切ない歌。冒頭はこんな感じだ。

Two doors down there’s a jukebox
That plays all night long
Real sad songs
All about me and you
二つドアの向こうには、ジュークボックスがある
とても悲しい歌が一晩中流れている
僕と君のことだね

しかし、アメリカで実際に酒場に行くと、しみじみ一人飲みの客、というのは日本ほどいないような気がする。もちろん、酒場にもいろいろ種類があるが、一杯10ドル程度(1100円ほどですけど、アメリカではこれでも安いんです)で気軽に飲める街なかのバーとなると、たいてい大型テレビから野球やアメフトの中継が流れていて、最近の流行歌が大音量で流れていて、若者たちが大声で談笑しながら、クラフトビールとピザとフライドチキンを楽しんでいて、というようなバーが一般的だ。陽気でパーティー好きな国民性も関係しているのか、お酒はみんなでワイワイ楽しく飲むもの、という社会通念(?)あるいは人生哲学(?)が定着している。これは、ハンクやコンウェイより、むしろ森高千里が「気分爽快」で歌った「飲もう 今日はとことん盛り上がろう」の世界に近い。

でも、僕は、たまには一人でしみじみ飲みたい。演歌とは言わないまでも、カントリーミュージックが流れるバーで静かに飲みながら、神戸の甲南商店街や住吉川沿いの散歩道や六甲ライナーなどに思いを巡らせ、古き良き日を懐かしみたい。今、我々の住む家のすぐ近所には、ワイワイ・ガヤガヤ系ではない、少し落ち着いたバーがひとつあるのだが、それは、僕にとってとても幸福なことだ。こういった類のバーをさらに開拓すべく、街をぶらぶら歩いていて、狭い通りにちょっとひなびた、少々場末っぽいバーを発見すると試してみるのだけど、さびしそうな一人客が多く、バーテンダーが寡黙でという、「舟歌」に描かれたような酒場のアメリカ版はそう容易には見つからない。