歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

元町商店街と丸善の思い出

JRの元町から鯉川筋を海に向かって南へ歩いていくと、左手(つまり東側)には大丸が、右手(つまり西側)には元町商店街の入り口がある。元町1丁目交差点のこの辺りは、港町神戸の中でも最も神戸らしい風景のひとつだと思う。

元町は、子供のときから僕の大好きな場所で、その名を聞くだけで、あるいは、頭の中に思い浮かべてみるだけで、何だか胸をぎゅっと締め付けられるような、まぶたの奥がじんと熱くなるような、激しい懐かしさに体中が包まれる。

メリケンパークと元町高架下については以前書いたので、今日は、元町商店街の話をしてみようと思う。元町商店街は、元町1丁目の交差点を起点とし、6丁目、つまり、JRの神戸駅あたりまで続くけっこう長い商店街。ほぼJR神戸線の線路、つまり、元町の高架下商店街と並行して東西に伸びている。現在の神戸の経済的・人口学的状況を反映して、三宮に近い東側は一日中人の流れが途切れることがないが、西、すなわち、神戸駅の方へ行くに連れて人通りがまばらになる。

 

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中学生の頃から、つまり、今から30年以上も前、一人で三宮・元町界隈の探索を覚えた僕にとって、元町商店街はお気に入りの場所のひとつだった。若者向けの店が多くとても活気のあった三宮のセンター街(当時は、「男館」やら「女館」、「JOINT」などダイエー系列の店がたくさんありました)に比べると、こちら元町商店街はもう少し落ち着いた、近代神戸の歴史が凝縮されたような年季の入った店が多く、ここを歩いていると何となく自分も大人になったような気がした。

数ある店の中でも、丸善へは足繁く通った。元町1丁目の交差点から商店街へ入ってすぐのところに、丸善はあった。20年ほど前に閉店してしまったのだが、自分の記憶に間違いがなければ、今、マツモトキヨシがある場所だ。

元町の丸善は、洋書の品揃えの豊富さで有名であったが、英語を勉強し始めたばかりの中学生の若者が、米国や英国からやってきた小説や雑誌を読んでも到底理解できるはずもない。装丁の美しい本を手にとって眺めながら、こんな本をいつか読めるようになりたいなぁと夢想するのが精一杯だった。

その後、大学生になり英語に加えて他の外国語も勉強するようになったのだが、それに伴い知的好奇心もますます盛んになり、また、日本の優れた高等教育(?)のおかげか、自分の外国語能力も少しは上達して、辞書の助けを借りながらとはいえ、英語、そして当時学んでいた外国語で書かれた小説や学術書が何とか自力で読めるようになった。そうなると、丸善へ通うのもさらに楽しくなり、以前にもまして頻繁に訪れるようになった。

あと、丸善の一階(確か一階だったと思う)は、高級文房具や上品な革製品なんかも豊富に取り揃えていて、できる大人の男はこういうものを使うんだ、と幼き僕の憧れを強烈に刺激した。店にあるもの全てをを丸ごと自分のものにしたい(笑)、そんな欲求だった。随分後、相方と知り合ってから、彼がこの店で買った黒革の財布をくれたのだが、これは本当に重宝していて、20年以上経った今でも現役だ。今でもこの財布をズボンのポケットから取り出すとき、丸善や元町商店街のことが頭に浮かぶ。

しかし、大学を卒業して数年経った頃、おそらく2000年代のはじめ頃から、丸善通いが極端に少なくなっていった。アマゾンの登場だ。それまで入所困難だった英語の書籍が、ここならほぼ何でも手に入り、しかも郵送料も手頃で数日のうちに配達される。当時のアマゾンは、今のそれとは比べ物にならないほど小規模だったが、それでも、家にいながらにして英語の書物を検索・注文し数日で手に入れることができる、というのは画期的かつ革命的だった。

ちょっと調べたところ、丸善閉店は2003年。つまり、アマゾンやその他のネット書籍販売サイトが成長し始めた頃だ。当時存在していた丸善のような洋書取り扱い店のビジネスというのは、一般の消費者にとっては洋書の入手が非常に煩雑で困難だという事実の上に成り立っていたが、アマゾンの登場によってその事実が根底から覆されてしまったわけで、そうなると丸善の相対的希少価値は必然的に低下せざるを得なかった。もちろん閉店の裏には、僕のような一介の消費者が感知せぬような複雑な事情があったのだろうが、ネットの書籍販売サイトの興隆が一つの理由であったのではと察する。

ネットで様々な種類の買い物ができてしまう現在が、自分の幼かった頃とは比べられないくらい便利であることは、疑いようのない事実だ。実際、異国の地に長く暮らす僕は、ネット販売の恩恵をもろに享受している消費者の一人だ。アマゾン・ジャパンや楽天で日本語の本やなんかを注文すれば、1週間もしないうちに自宅に届いてしまうのだから。

しかし、僕は、思春期から青年期にかけて、元町商店街や高架下の街歩きを通じて得た数々の「発見」を今でも懐しく思う。丸善や海文堂で表紙だけに魅せられて買った小説がこの上なく面白かったこと、ふと迷い込んだ路地で素晴らしいセコハンのレコード屋を見つけたこと(昔は、元町にも三宮にもちょっと薄暗い路地がたくさんありましたからね)、くたびれて何気なく入った喫茶店が思いのほか居心地がよかったこと、などなど。当時は、ネット販売もソーシャルメディアもなかったからこそ、街歩きには思いもかけない発見とそれに伴う高揚感・達成感がつきものだった。

こんなことを書きながら、最近の自分がいかにネットでの買い物に依存し、いかに街歩きの「発見」から遠ざかっているかを実感した。あと10日もしないうちに、また日本を訪れる予定なのだけど、今度はゆっくり元町商店街を歩いてみようと思う。ネットで下調べなどせずに、気の向くままに、風まかせに。新たな「発見」、あるかな?