歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

ぜんざいのもたらす幸福

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ときに無性に食べたくなるのがぜんざいだ。スイーツに関してはただならぬ欲望を持った国民を多く抱えるアメリカに住んではいるが、和菓子は全くポピュラーではない。饅頭や大福などは近所の日系商店で買えるが、ぜんざいはそういかない。寒い冬の日、たまたま入った喫茶店でぜんざい(あるいは、しるこ)を食べてほっくりした気分になる、という体験は、こちらでは絶対にない(もしかしたら、ロサンゼルスあたりなら、ありうるかも?)。

なので、普段は小豆を炊いて自家製あんこを作るが、そうなると、びびりの自分としては砂糖の量をついつい加減してしまい、出来上がりはあんこというより、ちょっと甘く味付けされた小豆だ。それはそれで美味しいし、たっぷり食べても胃が重くなったりすることもないので個人的に嫌いではないのだけど、そうなると、本物のあんこ――すなわち、自分の関与する余地のない場所で他人様がたっぷり砂糖を加えてくれた小豆の炊いたん――への憧憬が募っていき、夢にまで出てきそうな勢いだ。

そんなことを思いながら、去年の暮、例の日系商店をぶらつき、店の主人夫婦と、コロナなかなか終わらへんねぇ、この夏はなんとしてでも日本へ行きたいねんけどなぁ、なんていう、この2年間海外在住日本人の間で幾度となく繰り返されてきたに違いない世間話をしていると、ふと、真空パックに入った「あんこ」が売られていることを発見。2種類のうち、ひとつは、保存料やあんこの製造には到底必要のなさそうな甘味料や添加物が入っているので却下。しかし、もうひとつの方の原料は、小豆、砂糖、水のみ。よっしゃ、これや、と決意し、即買い。

正月中は、少しいやしんぼして、いろいろ食べて飲んでしまったので、ぜんざいは少し間のおあずけ。先週、元の禁欲的(?)生活に戻ったところで、自分への「たまのご褒美」としてぜんざい作りに挑戦した。挑戦といっても、あんこはすでに出来上がっているので、これに水を足し温め好みの汁状にし、焼いた餅を加えるだけ。正月に雑煮を作ったときの餅がまだ残っていたので、ちょうどよかった。

食してみる。おおおお。紛れもないぜんざいです。砂糖の甘みが舌の味細胞を心地よく刺激し、脳にびびびっと伝わる。やわらかく炊いた小豆(袋には「つぶあん」とあったのだが、ほとんど「こしあん」でした)の舌触りは優しくまろやかで、溶けるように食道に滑り込んでいく。餅の焼き具合も完璧で、甘い小豆の汁をたっぷり吸い込んでおり、口の中に入れると幸福な安心感が充満する。

ぜんざいごときで何を大げさな、と思う向きもあるかもしれないが、本物のぜんざいは、普段作るエセぜんざいとは確実に違った。たまにはいいもんです。相方も喜んでいた。我が家の柴犬くん、じっと横で我々を観察していたが、犬的にはこれはデカダントな食べ物の範疇に入りあげられないので、鳥のささみでがまんしてもらった。