歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

阪神御影―旨水館と御影クラッセ―

神戸及び阪神間で御影というと、富裕層に属する人々の豪勢なお屋敷が立ち並ぶ阪急の御影が想起されることが多いと思うが、今日僕が話したいのは阪神電車の御影の方だ。こちらは、阪急から南へ1キロちょっと下ったところにあり、歩くと15分ちょっとはかかる。神戸・阪神間では、阪急沿線のブルジョア的風景と阪神沿線の下町的風景とがよく対比されるが、御影もその例にもれず、阪神御影周辺には、気楽に入れる庶民的な店がいっぱいで、街歩きなら阪急御影より、阪神御影のほうが楽しいと思う。

ここには、旨水館(しすいかん)という下町的商店街が阪神電車の高架に沿って伸びていて(今も健在です)、その昔、摂津本山近辺に住んでいた頃、よくそこまで自転車で買い物に出かけた。僕のアパートから10分もかからなかった。買い物の便利さ、品揃えの豊富さという点でいうと、甲南商店街の方に断然軍配が上がって、しかも、こちらは自宅から歩いてすぐの距離だったのだが、子供の頃から元町の高架下が大好きであった自分にとっては、同様に高架下商店街である旨水館に何かしら心ときめくものを感じ、月に2、3度は自転車に乗って出かけていった。

高架下という、狭小で薄暗い都市空間自体に惹かれて通っていたので、20年以上経った今では、そこでどんな買い物をしていたかあまり覚えていないのだが、一軒だけ今でも鮮明に記憶に残っている店がある。天ぷら・かまぼこの「丸武」だ。

関西の人ならご存知だと思うが、ここで言う「天ぷら」とは、野菜や海老を衣で揚げたあれではなく、練り物、つまり「さつま揚げ」のこと(僕が子供のころは、「さつま揚げ」なんて言葉は知らず、もっぱら「天ぷら」と呼んでいたんだけど、関西では今でもそうなんでしょうか)。僕はこの練り物の「天ぷら」が子供の頃から大好きで、その傾向は、大人になってお酒を飲むようになってさらに強まった。

ここでイカ天やなんかを適当に見繕って、家に帰ってちょっと甘辛く炊いたり、それすら面倒なときは、トースターで軽く焼いたりして、灘のお酒で晩酌しながら食べると、ささやかな幸せを感じたものだった。相方は、多くの非アジア系アメリカ人と同様、魚臭く(英語では”fishy”と言います)、ぷよぷよした妙な食感の練り物を毛嫌いしていたが、僕からの度重なる改宗への誘いに、神戸時代についに苦手を克服し、今では立派な天ぷらファンだ。

去年の一時帰国の際、母と妹たちと元町でお昼を食べた後、ふと思い立ち阪神電車に乗って、御影へ行った。阪神で三ノ宮から梅田に行く際通り過ぎたことは何度もあったが、電車を降りて街を歩き回るのは渡米以来だから、20年ぶりだったということになる。

「御影クラッセ」という、駅前の商業施設にありがちな、意味はよく分からんが耳への響きはなんとなく心地良い名称の(他にも「須磨パティオ」とか「エビスタ西宮」と、挙げていけばいくらでもありますよね)立派なショッピングセンターが出来ており、もちろん以前から電車で通過する際によく見ていたのだが、実際に降り立ってみると、御影の街が大きく変貌していることを実感した。僕の知っている阪神御影は、もうちょっとゴチャゴチャした、いかにも「阪神」的な街で、これは今でも駅からちょっと離れると健在だが、少なくとも「御影クラッセ」のある駅北側はすっかり様変わりしていた。

この手の駅前商業施設に関しては、ユニクロとか無印とかスターバックスといった巨大資本に独占されて、どこに行っても同じような都市風景が広がっている、という批判があるのは重々承知で、僕も同様の危惧を抱いたりもするけど、実際に住んでいる人の立場からすると、こんなに便利なものはないと思う。ほとんどの買い物が、三宮や梅田に出ずとも駅前で完結してまうのだから。

6年ほど前、仕事で大阪に一月半ほど滞在したとき、用意してくれたマンションが阪急の南千里駅すぐのところにあったのだが、駅前には阪急オアシスもカルディもスタバも入った「トナリエ南千里」なるものがあって、本当に重宝した。僕が今暮らしている米国には、駅前で毎日の生活のニーズを充足させるという暮らし方がほとんど定着・普及していないので(そもそも、鉄道・地下鉄の恩恵を受けている場所に暮らす人々が極端に少ない国ですからね)、便利な日本の都市生活はうらやましい限りだった。

で、阪神御影に話を戻すと、久々に旨水館を散策することを目的に駅に降り立ったのだが、その日は水曜日、悲しいことに旨水館の定休日だった。商店街を歩くのだという気持ち満々で御影まで来たので、けっこうくやしく、タクシーを拾って近くの甲南商店街か水道筋商店街へでも行ってみようかと思ったのだが、結局、阪神電車で新開地まで戻り、湊川の商店街を歩くという代わり映えのしない行動を取ってしまった。旨水館へは、渡米以来まだ一度も戻れずにいる。