歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

イカナゴのくぎ煮

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僕の住むこの街では、ここ1週間くらいで気温が急上昇、にわかに春らしい天気になってきた。

というわけで、イカナゴの季節だ。神戸・明石近辺では、イカナゴの稚魚を醤油とザラメで甘辛く炊いた「くぎ煮」は春の風物詩で、物心ついた時分から、毎春、祖母も母も大量に作っていた。近所の家々も同様で、3月から4月にかけては、町を歩くと魚のうまみと甘辛さが絶妙に融合したあの独特の匂いがただよってくることが多く、ああ、この家は生姜をよく利かせてるなとか、ふむ、この家では山椒を入れるのかとか、家ごとの違いがおもしろかった。ちなみに、僕の母は、基本は生姜入りだったが、生姜嫌いの年の離れた妹のため、生姜抜きも作っていた。

自分にとっては、沈丁花の匂いが冬の終わりの象徴なら、くぎ煮の匂いは春の訪れの象徴だった。あの匂いを思うと、卒業式・終業式の時節の温かいそよ風やちょっと霞んだ空、春休み中の昼間のがらんとした通学列車、日だまりの中で気持ちよさそうに眠る我が家の雑種犬など、春関連の諸々が次々と頭の中を駆け巡っていく。

僕が渡米してからは、母は、春に炊いたくぎ煮を冷凍保存しておいてくれ、初夏に一時帰国するときに食べさせてくれた。あれを肴に地元のお酒で一杯やって、その後、それをお数にご飯を食べると、故郷に帰ってきたことを実感した。そんなわけで、ここ20年ほどは、くぎ煮は僕にとってはむしろ初夏の風物詩だ。

ここ数年はずっとイカナゴが不漁らしい。今年は、大阪湾では3月1日にイカナゴ漁が解禁になったが、やはり漁獲量が低く週明けの7日まで休漁になっているとか。母親とラインで話していると、近所の生協では、昨日1キロ3540円だったそうで、もうこうなると一般人が気軽に食べられる魚ではない。水際対策緩和が進み、今夏はついに待機なしで一時帰国できると喜んでいるのだが、くぎ煮にありつくことはできないかもしれない。

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