歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

望郷、あるいは乱れる心

御堂筋は今年もきれいでした

明けましておめでとうございます。

前回の記事を書いてから実に4ヶ月以上の時が流れてしまった。夏の終りあたりから仕事がまた忙しくなり、11月の終わりの感謝祭までほぼ休みなしだった(といっても、オフィスに毎日行っていたわけではありませんが)。師走になり少し落ち着いたと思ったら、次は、日本行き。2週間ほど滞在して、年末に帰ってきた。

実は、今回の日本行きはかなり直前になって決めたものだった。航空券の高騰は収まる気配がないし、日本には夏に行ったので年に二度行かなくてもという気持ちもあったりで、日本行きは夏までおあずけと一度は決意した。ただ、仕事柄、12月は時間に融通がきくので、なら、比較的航空券の安いヨーロッパへ行こうと思いたち、すでに支払いまで済ませていた。

が、日本への望郷の念消し去り難く、この機会を逃したら自分は金輪際二度と日本へ行くことができないのではないか、という根拠のない不合理な思考に心が支配されてしまい、いてもたってもいられなくなり、結局、ヨーロッパ行きを中止、日本行きの高い航空券を買って、あわてて北浜や四谷の宿を予約するようなことになってしまった。やはり、僕は、夏と冬、少なくとも年に二度日本へ行かねば落ち着かない体質に出来上がっているようです・・・。

いつもなら、日本で2週間なり3週間なりの滞在を満喫して米国へ帰ってくれば、すぐにこちらでの生活のリズムを取り戻し、日本を懐かしむことはあっても、それはあくまで心地よい、甘い懐かしさだったのだが、今回は、事情が違うようだ。米国へ帰国してからも日本への思いが日増しに増幅され、日本にいることのできない自分自身を強烈にもどかしく感じる。日本で実現し得たかもしれない生活に関する空想から抜け出せない。人生の要所要所で自分の行った数々の選択が正しかったのか確信が持てず、何かとんでもない間違いを犯してしまったのではないか、という後悔の念のようなものにさいなまれる。時差ボケもなかなか治らず、夜中に突然目が覚めて、あれやこれや考えてしまう。

米国での生活に特に不満があるわけではない。よき相方にもよき柴犬にも恵まれている。仕事は忙しいとはいえ、自由度も高く好きなことをやらせてもらっている。経済面で不自由することもない。米国という国もそこの人々も本当に親切で友好的で、とても感謝している。ただ、今でも自分がこの国では異邦人であり、根無し草であり、旅人であるという感覚から抜け出せず、神戸や大阪、東京の街とそこに暮らす大切な人々が無性に懐かしく、駆け出していきたい衝動に駆られる。ここで大病や大怪我をして、あるいは単に年老いて日本へ行けなくなる日が来ることを思い、不安でたまらなくなる(そして、そういう日は確実にやってくる)。

ふきのとうの歌に「12月の雨」というのがあって、大好きな歌なのだが、こんな歌詞が出てくる。

     僕はあいも変わらず昔と同じ旅から旅への毎日です
     こうして一年があっという間に
     足早に過ぎていくことにつらく思う時がある

歌詞のコンテクストは自分のとは異なるが、この部分は今の僕の気持ちは妙に言い当てている。

今は比較的仕事が落ち着いており、時間に余裕があるので、いらぬ空想や妄想に執着しているのであって、仕事がまた忙しくなれば、もとの精神状態に戻ることができるのか。あるいは、これはもっと根源的な問題の兆候にすぎず、真面目に向き合う必要があるのか。それは、自分でも分からない。ただ、この望郷の念というやつは非常に厄介で、僕の心をかくも激しく乱しており、自分でもちょっと驚いている。

久々、そして新年初の投稿だというのに、とても暗い内容でした。すみません。

師走某日、北浜、快晴