歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

名古屋へ―旧友との再会―

大学は地元関西だったけど、学生は全国津々浦々からやってきていて、その中でも僕の周りには名古屋圏からの友人がけっこう多かった。そんなこともあって、学生時代から名古屋方面にはけっこう行っていて、神戸や大阪や東京ほどではないが、それなりに親しみを感じる場所だ。誰かが愛知や岐阜のアクセントで話しているのを耳にすると、今でも条件反射的に体が反応して、何だか甘酸っぱい懐かしい気持ちがこみ上げてくる。

しかし、学生時代は四半世紀以上も前のこと、当時親しくしていた友人たちも一人、また一人と、特に理由はないものの疎遠になっていき、名古屋を訪れる機会もここ10年ほどはなくなっていた。

それが、去年の夏の一時帰国中、ちょっとしたことで、今は名古屋で商売をしている友人(仮にH君とする)と連絡を取ることがあって、今度、日本に来るときは是非お店にも遊びに来てよ、というようなことを言われ、社交辞令で言ってるだけなのかなと思っていたところ、12月の頭にまた連絡が来て、名古屋来れそうですか、来れないなら僕の方が大阪へ出向いて行きますよ、と言われて、ああ、彼は本気で会いたがってくれてるんだといたく感激してしまい、去年末の一時帰国中、僕の方から名古屋へ出かけていった。

大阪から名古屋まで新幹線ならすぐだが、急ぐ用もないので、今回はずっと乗ってみたかった近鉄特急「ひのとり」を利用した。常宿のある北浜から近鉄の上本町までタクシーならすぐだ。近鉄百貨店の地下で昼のご飯を調達して、いざ出発。2時間ちょっとの旅なので、昼を食べてウトウトしているとすぐに到着。

久々の名古屋なので、H君との待ち合わせの時間までに訪れたい場所が2、3あったのだが、旅の疲れか、ホテルに着いてベッドに横たわるとそのまま寝落ち。結局、あわててH君のお店へ行くようなことになってしまった。お店を一通り見学させてもらったあとは、場所を移して夕飯。名古屋近郊に住む別の友人も来てくれ、3人で学生時代のことや今の仕事のことや老後のことをあれこれ話ながら夜が更けていった。

と、まぁ、とてもありきたりな旧友との再会にまつわる話なんだけど、今回の名古屋行きでは、友情とか人の縁とかいうものについていろいろ考えさせられた。学生時代、H君とは特に仲がよかったわけでもないのに、なぜか現在にいたるまで交友関係が細々と続いている。彼の他にも日本には、僕が一時帰国すると実家のある町に必ず帰省してくれる幼なじみや、東京へ行くと片道2時間くらいかけて新宿あたりまで会いに来てくれる友や、僕の東京滞在中はだいたい予定を空けておいてくれる友なんかがいて、彼らには本当に感謝の念しかない。

僕は決して人付き合いがよい方ではなく、その傾向は、歳を経るごとに顕著になっているような気がする。事実、今の米国での交友関係を思ってみると、ほとんどが仕事関係の人たちで、その中にはプライベートでも食事や飲みに出かけたりする人もいるが、僕がこの街を離れるようなことがあって、例えば10年後再訪したときに、やあ、久しぶり、飲みに行こうや、と声をかけるような人はおそらくいない。

ここには相方と柴犬くんがいるので特に寂しいと感じることはないが、たまに日本へ帰って古い友人たちと会うと、気のおけない友情とはいいものだと実感する。また、彼らと知り合い友情を育んだ遠い昔を思うとき、そこには、今の自分よりもずっと明るく積極的で楽観的だった自分がいて、米国での仕事漬けの日々を何とか乗り越えていけているのは、そういった思い出のおかげかもしれないとも思う。

何だか今日はとてもとりとめのないことを書いているが、要は、もうそろそろ50に手が届こうかというこの歳で、気の合う友を見つけるのは非常に難しく、今いる日本の友たち(数は決して多くはないが)をこれからも大切にしなければならないし、そのためには努力も必要だということだ。

サイモンとガーファンクルの"Old Friends" (旧友)。冬の公園のベンチに静かに座る二人の老人を見て、自分と友人が年老いていく時の流れに思いを馳せる、という歌詞だ。中学生の頃に初めて聞いたときにはよく分からなかったのだが・・・。