歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

横浜小旅行

前回の記事で、いかに望郷の念が強いかということを書いたが、日本のことについて書いていると少しではあるが精神の平和が保てることが分かったので、続けて投稿。今日は横浜のお話。

東京から横浜までは、JRの新宿から横浜までが30分ほど、東急の渋谷から元町・中華街までが40分弱なので、けっこう気軽に行ける距離なのだが、ほとんど訪れたことがなかった。特に理由があるわけではなく、東京にいるときはたいてい仕事半分でくたびれていて、なかなか足をのばす機会がなかっただけだ。といっても、神戸にいるときは、しんどくても、阪神間、大阪、北摂、ときには京都まで精力的に出かけていくので、おそらく、勝手のよく知らない横浜へ行くことに対する尻込みみたいなのもあったのだと思う。

始めて横浜へ行ったのは、もう16、7年前。友人カップルが、東急のあざみ野に住んでいて、泊まりにおいでよと誘ってくれたので出かけていった。今なら東急の田園都市線がどれだけ混むのかしっかり知識があるので、時間をちゃんと見計らって行動するだろうけど、当時は、東京の電車事情にはとんと疎く、夕方のラッシュ時に渋谷から電車に乗ってしまい、そのあまりの混み具合に恐怖を覚えた(関西であそこまで混むのは、御堂筋線くらいですよね)。

が、あざみ野自体は、阪急の夙川とか武庫之荘あたりを思い出させるとてもきれいな町で、すっかり気に入った。しかし、その友人カップルは、その後、横浜を離れて遠い町へ越していったので、僕のあざみ野との縁はそれっきりになってしまった。

それから、ちょうど1年後くらい、東京でちょっと懇意になった別の友人が横浜を案内してくれた。彼は、生まれも育ちも神奈川で、横浜に対する愛情に満ち溢れた人だった。横浜はあざみ野しか行ったことがないねん、と僕が言うと、じゃあ今度の週末遊びにおいでよ、ということになった。しかし、正直言って、この時の横浜行きはほとんど記憶に残っていない。山下公園や元町などお決まりのコースを巡って、中華街で晩のご飯を食べたのは覚えているのだけど、細部については記憶から完全に脱落している。

僕は記憶力はいい方で、普通は、訪れた場所の視覚的な映像だけではなく、匂いとか空気の肌触りとか、そういうどうでもいいようなことまで、しっかり覚えているのだけど、この横浜訪問は数少ない例外のひとつだ。というのは、当時の僕は、とある問題で精神的にまいってしまっていて、週末に遠出でもすれば気が紛れるかなと思って出かけていったのだが、結局横浜でも、その問題がひと時も頭から離れず、早く東京へ帰ることばかり考えていた。忙しいスケジュールを調整して横浜案内を買ってでてくれた親切な友人には、悪いことをしてしまったと今でも後悔している。

去年の6月に一時帰国した際、再び横浜を訪れた。ちょっとした理由でカトリック山手教会がどうしても見たくて、仕事が早く終わったある日の午後、渋谷から東横線に乗っていった。終点の元町・中華街で下車して、山下公園を軽く散策した後、タクシーを捕まえて山手教会へ。前回と違い、今回は精神的にも落ち着いていたし、横浜へ自分の意志で来るべくして来たので、横浜的雰囲気を、ほんの一部だが、堪能することができた。山下公園は神戸のメリケンパークを、山手はこれまた神戸の北野界隈を彷彿とさせ、全く見知らぬ場所なのに何だか懐かしい思いがこみ上げてきた。

恐ろしく暑い日だったが、横浜は、東京の都心と比べるとほんの少しだが涼しくて海風が気持ちよかった。これも、大阪の街中から神戸へ行くと、その涼しさに救われてちょっとほっとする感覚にどこかしら似ていて、なんだかおかしかった。

そうそう、ふきのとうの「小春日和」という歌は、休日に東京の喧騒を逃れて横浜へ小旅行に出かけるという歌詞。こういう休日の過ごし方、いいなぁ。