歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

住吉川と望郷の念

前回の投稿から1年近くも経ってしまった。あまりに忙しすぎたとか、書くネタがつきたとかそんなわけでは決してない。書きたいことはあるのだが、なんとなく体がだるく、時間ができると書くという能動的な行為よりは、ユーチューブやネットフリックスを見たりという受動的な行為についつい流されてしまい、結局こんなに時間が経ってしまっただけだ。

いろいろと自己分析してみるに、もう50を超えてしまった自分、おそらく体力が消耗してきているるのだと察する。特にどこといって悪いところはないのだけど、眠りが浅く夜中に何度も目が覚め、そんな日は日中もずっとしんどい。食欲はあるのだが、欲張って食べすぎると腹が重い。特に脂っこいものに対する許容度が著しく低下した。酒は今でも好きだが飲みすぎると二日酔いになってしまうし、それに伴う頭痛も苦痛だ。30代までは徹夜で飲んでも朝ちょっと眠れば、ケロッとしていたが、今はそんなこと想像するだけでも恐怖だ。

ジムには週3で通いけっこう真面目に筋トレしており、そこで集中している間は体も心も軽く”feeling great”だが、その日の午後にはどっと疲れが出てしまう。鏡を見ても筋肉がついてる様子もなく、ていうか、鏡で自分を見るのが嫌で、若かった頃の自分の体が無性に懐かしい。友人知人を誘って飲みにでもいけば楽しいかなとも思うが、この年になればお互い家族がいたり仕事が忙しかったりと調整すべきことが多く、それなら自宅で、ちょっと高めのワインを開けて古い映画や小説を友に想像の世界を堪能するほうが気軽でいい。しかし、飲めば陽気になるかといえばそうでもなく、それどころか、昔のあれこれが蘇ってきて妙に感傷的になってしまう。それは決して嫌な感情ではないが、森高の「気分爽快」というよりは、「しみじみ飲めばしみじみと思い出だけが行き過ぎる」という「舟唄」の世界だ。

と、まぁ、しんどさと対峙しながら賃労働者として生活している自分だが、年2回の日本行きは継続している。直近の日本行きからは2週間ほど前に戻ってきたばかりだ。いつものように神戸・大阪で半分、東京でもう半分を過ごしてきた。日本にいる間は、なぜか体調も良好で米国の生活では考えられぬほどの長距離を歩いても、ホテルに戻り風呂に入れば、ほな一杯飲みに行こかという気分にもなり快適に過ごせた。米国での日常におけるしんどさは、精神的なものもあるのだろう。

上の写真は神戸市東灘区の住吉川。JRの住吉から少し東へ行ったところ、国道2号線上の橋から撮ったもの。この日は、夙川〜芦屋川〜岡本〜摂津本山〜住吉というルートを阪急とJRと自分の足を使いながら移動し、阪神間のモダニズム建築を巡る旅をした。渡米前まで摂津本山近辺に住んでいたので、阪神間はよく知った土地で、住吉川へも何度も行ったが、目的地を決めてしっかり計画を立てた上で散策すると目新しい発見も多数あった。6月の初旬でまだ涼しい風の吹く日であったので、気持ちよく歩くことができた。

下の写真は、芦屋にある、フランク・ロイド・ライト設計によるヨドコウ迎賓館から南の方、神戸方面を眺めたもの。この迎賓館は、阪急芦屋川からさらに北へ行った高台にあるので、眺めがすこぶるいい。

阪神間を訪れると決まって望郷の念が高まり日本へ帰ってきたいと思うが、米国での今の仕事を手放してしまう勇気はない。職種柄、そう簡単に日本で転職できるわけではないし。しかし、考えてみると、毎年初夏と冬の2回一時帰国しており、1年のうち6週間ほどを日本で過ごしていることになる。今のところはそれでよしとするしかない。