風歩きの雑記帳

米国での日常、そして日本の思い出

岩屋商店街と資本主義をめぐって

日本へ一時帰国すると、たいていは滞在の半分を大阪・神戸で、もう半分を東京で過ごしている。現在、僕の住む米国の東側からは関空への直行便がないので、ワシントン―羽田というルートを使っているので、日本滞在の始めと終わりが東京、その間が関西という日程が常だ。

日本滞在を終えて羽田からワシントンへ飛び立つときの辛さは言うまでもないが、関西での滞在を終え新大阪あるいは新神戸から東京へ向かうときも大概だ。やり残したこと、行き残した場所があるような気がしてならない。年2回帰ってきているとはいえ、半年後にまた戻ってこれるという保証はどこにもない。例えば、2019年の12月に渡日したときには、まさかこの後パンデミックで国境が2年以上にわたって閉ざされるなどとは想像もしていなかった・・・。そんなわけで、関西滞在最終日は仕事の予定をなるべく入れず、(少々大げさだけど)悔いのないよう自分の好きなことをするようにしている。

先月の一時帰国中、大阪ではいつものように北浜に泊まっていたが、最終日は淡路――阪急京都線の淡路ではなく、兵庫県の島の方の淡路です――へ行った。行きたい場所の候補は他にもあったが、天気予報によるとかなり暑くなりそうだったので、なるべく涼しい場所をということで、淡路島にした。

淡路といっても、僕が行ったのは、島最北端、本州側から一番近い岩屋。車もないし、海水浴をするわけでもないし、リゾート体験をしたいわけでもないし、サクッと行ってサクッと帰ってくるなら、岩屋が一番だと思い決めた。

大阪から明石まで新快速なら40分もかからない(やっぱり新快速はすごい、ただ、頻繁な遅延が困りものですが)。明石駅からは10分ほど南へ下ればすぐに明石港だ。小型のフェリーが1時間に1〜2本出ていて、15分ほどで岩屋に着く。

淡路島へ行ったのは20数年ぶり、岩屋へ行ったのは初めてだった。2010年までは大型のフェリーが明石―岩屋間を就航しており、岩屋は本州からの玄関口として栄えていたらしいのだが、現在の岩屋は静かな、ちょっとひなびた港町といった風情。今は舞子から明石海峡大橋を渡れば淡路なんてすぐで、車がなくても、バスが三宮からも大阪からも出てるので、わざわざ明石まで行って明石港まで歩いてというルートを使う人は、少数派だと思う。

岩屋の船着き場からすぐのところに岩屋商店街なるものがある。徒歩での買い物を想定した典型的な昭和の商店街だ。狭い通りの両側に個人商店がびっしり並んでいるが、ほとんど休業中。いわゆるシャッター商店街で、その意味でも典型的な昭和の商店街だ。

端から端まで一通り歩いたが、すれ違う人もほとんどおらず、活気はない。2020年の国勢調査によると、岩屋を含む淡路市の人口は41967人、2010年の国勢調査時より4000人以上の減少だ。大都市を除く多くの自治体と同様、淡路市も人口減に直面している。

このような静かな商店街を旅人として歩くだけなら、その衰退を「レトロ」とか「ノスタルジック」とかいう言葉でもってポジティブに変換して解釈することが可能だけど(事実、僕もそんな旅人の一人でした)、実際住んでいる人々にとってはなかなか厳しい状況だと察する。ここでも車で大型のスーパーへ買い物へ行くという生活が主流なのだろう。

実は、かくいう自分の地元の町もこんな感じだ。自分が子どもだった時分は、近所の商店街がとても元気で、スーパーも本屋も文房具屋もパン屋も喫茶店も一通りあったのだが、今ではすっかり寂れており、商業の中心はちょっと離れたイオンの方へ移っている。世代交代が進まず完全にオールドタウンと化した元ニュータウンの姿がそこにはある。車があればいいのだが、僕の母も含めて車を持たない人たちにとっては、商店街の衰退はとても深刻な問題だ。それでも、僕の地元の町はコープこうべが強い地域なので、母は、買い物の送迎をしてくれる「買い物行こカー」や宅配などのサービスに大いに助けられてはいるが。

こういう例を見るに、資本主義というのはなかなか残酷なシステムだなぁと感じないではいられない。不動産会社なり鉄道会社なり地方自治体なりの大資本が開発・整備したインフラの便利さは、人が住む場所を決定する際の重要なファクターになるが、それらの資本がいつまでもその場所の開発に携わってくれるとは限らない。資本(=カネ)は、利潤の高い新たな投資先を見つければいとも簡単にひとつの場所から別の場所へと移動していく。1970年代から90年代にかけては、都市郊外の団地や戸建てが大いに流行したが、この20年ほどの間に開発の中心、つまりカネの流れが都心部のタワマンへと移っていったのは、この資本の移動のわかりやすい例だと思う。

しかし、資本と違って人の方はそう簡単に移動することはできない。多くの人にとって、ある場所へ移住しそこで生活を築くということは、非常な労力と資金を必要とするイベントだし、住んでいれば自ずと仕事や学校や家族などいろいろ考慮すべき問題が出てくる。より便利でより快適な場所へと、資本の移動にともなって移住を繰り返すことができるのは一部の階級の人たちだけだ。資本の運動と拡大が社会に活気を与えていることはもちろんだが、衰退する田舎や郊外の町を見ると、資本と人との間に存在する圧倒的な力の差を思ってしまう。

そんなことをうだうだ考えながら岩屋を散策しましたが、岩屋の町自体は、僕のような中年のひとり男がゆるく歩くのにぴったりで、とても楽しめました。帰りは、再びフェリーで明石へ戻りJRで舞子へ移動、舞子ビラでちょっと遅めの昼食を取り、大阪へ帰るJRではたっぷり昼寝しました。いい一日でした。