風歩きの雑記帳

米国での日常、そして日本の思い出

シャーロッツビル――ちょっと素敵な大学町

アメリカには、いわゆるカレッジタウン(college town)、つまり、大学町なるものが全国津々浦々にある。町の人口の大半を学生や教員などの大学関係者が占め、大学と経済的に深く結びついている町、ちょっと意地悪な言い方をすれば、大学以外には何もない町のことだ。ミシガン大学のあるアナーバー、バージニア大学のあるシャーロッツビル、イリノイ大学のあるアーバナ・シャンペーン、コーネル大学のあるイサカなんかがその典型だ。

日本では大学はほぼ都市部に集中していて、進学を機に都会へ出ていってそのままそこで就職というパターンが多い。が、こちらでは、都市の喧騒を離れて4年間しっかり勉学に励もうという伝統が根付いていて、ニューヨークやワシントンやロサンゼルスなど大都市出身の若者が、あえて田舎の大学へ進学するのは全く珍しくない。入学難易度の高い名門大学の多くも、田舎にあることが多い。

子供を送り出す親としても、誘惑が多く犯罪の多発する都市部よりは、静かな田舎町の方が安心できる。僕には子供がいないが、もしいたとして、そしてその子がとても優秀な学力を持っていたとしても、ニューヨークやロサンゼルスの市内ど真ん中の大学、例えばニューヨーク大学や南カリフォルニア大学へ進学させるのは、ちょっと躊躇してしまうかもしれない。もちろん、世界的な大都会での暮らしから得るものが非常に多いのは間違いないだろうけど、こちらの大都市ではとんでもなく物騒なことが起こったりしますからね。

田舎町で大学生活というと退屈きわまりなく聞こえるかもしれないが、大学を中心としてできた町には教育レベルの高いインテリと知的好奇心の強いプチブルが多くいるので、独立系映画館やオーガニックのスーパー、個性の強い古本屋、小洒落たレストランやカフェなんかがけっこうあって、それなりの文化的水準の都市生活を楽しめるようになっている。日本で大都市から遠く離れた人口5、6万の都市というと、地方都市の中でも小さい部類で、おそらく人口流出に直面しているだろうが、米国で同規模の大学町というと、町なかのにぎわいの度合いはなかなかのものだと思う。

上の写真は、名門バージニア大学のキャンパス。第3代大統領ジェファーソンによる建築で、全米で最も美しいと言われるキャンパスのひとつ。大学町シャーロッツビルの人口は5万に満たないが、大学の周辺には学生・教員相手の店がたくさんあって、ちょっと離れた市の中心部、いわゆるダウンタウンの商店街はにぎわっている。バージニア大学では2万をこえる学生が学び、しかも、その1割は留学生なので、当然、この商店街も国際色がとても豊かだ。

シャーロッツビルは、僕たちの住んでいる街からは日帰りで行ける距離なので、天気のいい日など我が家の柴犬くんを連れてふらっと行ったりすることがある。商店街は歩行者天国となっていて、レストランやカフェは、たいてい外にもテーブルがあるので、犬連れでも安心だし、また、飲食店以外は、犬OKの店もかなりある。夜な夜な歓楽街を飲み歩くといった、都会的刺激を求めるのはちょっと難しいが、のんびり散歩するには最適の町だ。人口減少が深刻で、地方都市の衰退が進み、東京への一極集中が進む日本から来ている自分にとっては、こういった米国の小さな町の活気は素直にいいなと思うし、うらやましくもある。

もちろん、アメリカにも、都市と田舎の格差はあって、それは日本以上に深刻で、アパラチアや中西部には、産業基盤を失って人口流出が止まらない田舎町がたくさんある。ただ、移住・転居に際して、誰も彼もがニューヨークかロサンゼルスを選ぶわけではなく、各々の興味と好み、素質、才能(そして、もちろん経済的条件)に応じて、様々な選択肢があることは紛れもない事実だ。アメリカ人というのは、どのような選択を行う際にも、選択肢は多ければ多いほどいい、自分の好きなものを自分の意思でちゃんと選びたいという人たちなので、そういった国民性が、移住先の多様性にも反映されているのだろうと思う。

しかし、ひとつ問題があるとすれば、それは物価の高さ。田舎といえども、シャーロッツビルのように住環境がよい大学町の物価、特に不動産価格は驚くほど高く、都会暮らしは高くつくから田舎へ引っ越そう、というような安易な考えは通用しません・・・。