風歩きの雑記帳

米国での日常、そして日本の思い出

西東三鬼『神戸・続神戸・俳愚伝』について

このブログでは、いかに神戸が好きかということをしつこく書いており、また、数ある神戸の都市空間の中でも、特に新開地や元町が好きだということも何度も書いている。無機質で均質的な郊外のニュータウン(今や完全にオールドタウンとなってしまいましたが)で育った僕にとって、湊川・新開地や元町(特に高架下)の持つ混沌とした非日常的で異世界的な雰囲気は、とても魅力的だった。そこには、僕にとっての都市の原風景がある。

新しい街に行くと、(昔の)新開地や元町のような空気と色合いを持つ場所を見つけようとするが、それはなかなか簡単ではない。特に最近は、どこへ行っても同じような都市の景観、つまり、独占資本によって支配された味気ない景観が広がっているので、僕の思い描く都市というのはすでに空想の中にしか存在しえないのかもしれない。

西東三鬼の『神戸・続神戸・俳愚伝』は、そんな僕が愛してやまない一冊だ。著者は、1900年生まれの俳人。新興俳句運動に関わっていたが、時局にそぐわない厭戦歌を詠むなどしたため、1940年に検挙され、結局は不起訴にはなるものの、戦時中は俳人としての活動を禁止された。『神戸・続神戸・俳愚伝』に所収の「神戸」及び「続神戸」は、戦時中、居心地の悪くなった首都東京を脱出し、神戸のトアロードにあったトーア・アパート・ホテルで過ごしたときの著者自身の体験をもとにしたとても不思議な小説だ。発表されたのは戦後になってからで、「神戸」が1954年、「続神戸」が1959年。

僕がこの本を見つけたのは、全くの偶然で、三宮のセンター街のジュンク堂に特に目的もなく立ち寄ったときだった。こちら米国へ越してくる前だったので、もう20年以上も前になる。当時のまだ若き僕は、西東三鬼など全く知らず、タイトルだけ見て、あ、神戸の本や、おもしろいかなと軽いノリで購入し、摂津本山のアパートに帰って読み始めたが、もう1頁目からぐいぐい引き込まれ、あっという間に読み終えてしまった。

本書の登場人物は、著者である「私」とホテルに長期滞在する住民たちだ。著者によると、この住民たちの国籍は「日本が12人、白系ロシヤ女一人、トルコタタール夫婦一組、エジプト男一人、台湾男一人、朝鮮女一人」であり、「12人の日本人の中、男は私の他に中年の病院長が一人で、あとの10人はバーのマダムか、そこに働いている女であった」(10頁)ということだ。

このホテルの住人たちは、いわゆる世間の「はみ出しもの」で、とにかくぶっ飛んでいる。戦時中のことゆえ、彼らも食料・物資不足を経験しており、生活は楽ではない。ただ、外国との秘密のコネがあったり、闇商売をやったりと、一般国民の規律正しい暮らしとは相当かけ離れている。戦時中の日本といえば、個人的自由が極度に制限され、すべての人的・物質的資源が戦争遂行のために動員させられたという理解が一般的だと思うが、「私」の目を通して語られる住人たちの破天荒ぶりは、動員や総力戦といった枠組みだけでは決して理解できない。かくもコスモポリタンな都市空間が戦時中の神戸に存在していことに、当時の僕はもう驚愕し興奮してしまった。

また、西東三鬼の文体もとても心地よかった。私小説の伝統を持つ近代日本の小説というのは、とかく湿っぽく陰気臭い(ごめんなさい!)ものが多いのだけど、西東三鬼は、小説家ではなく俳人なので、そういった私小説のしがらみ及び東京の文壇から完全に離れたところから出発している。それもあってか、彼の文体は、戦時期日本在住の外国人というけっこう深刻なテーマを扱っていながら、カラッと乾いていて、あっけらかんとしていて、ちょっとつかみどころがなく、どこか陽気で楽天的だ。きわめて「神戸的」な文体だと思う。

僕は今でも、小説とも随筆とも判別しかねるこの一冊が好きで、理由もなく読み返したくなるときがある。陽の長いこの季節、夕方ちょっと涼しくなった頃を見計らって、すぐ近所にあるバーへビールを飲みに出かけることがよくあるのだけど、そんなとき、この文庫本を持参したりする。神戸から遠く離れた地で、米国のクラフトビールを飲みながら、80年も前のトアロードに思いを馳せるというのはなんとも不思議で、それは、日常の真っ只中にいながら非日常のドキドキを空想できる楽しい時間でもあります。