歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

春日野道の友だち

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阪急春日野道

春日野道は、神戸の中心部、三宮のすぐ東隣の町。山側に阪急春日野道駅、海側に阪神春日野道駅がある。三宮から西は元町〜JR神戸、と繁華な商業地区が続くのに対して、東の春日野道は、いくつかの活気ある商店街を抱える下町的な町だ。

大学1回生のときにとても親しくしていた友人S君が、阪急春日野道からほど近いアパート(いわゆる、ワンルームマンションです)で一人暮らしをしていた。まだ入学して間もない頃、どこかの駅前でモツ鍋屋の割引券をもらって、それを何とはなしにS君に見せると、へえ、おもしろそう、ほな、一緒に食べに行こか、いいね、行こう、ということになり、5月の連休明けにそのモツ鍋屋――確か、阪急三宮の西口辺りだったと思う――へ行ったのが、S君との付き合いの始まりだった。その後、僕たちは急速に仲良くなって、大学の講義の後、一緒に三宮をぶらついたり、カラオケに行ったり、夜は夜で長電話したりした。

僕は自宅通いだったので、三宮の繁華街から徒歩圏内に一人暮らしをしているS君がまぶしかった。音楽の趣味にしろ、服装にしろ、地元の友達とは少し違う、何となく洗練された雰囲気を漂わせていて、S君と友達になることで自分も少し大人になったような気がした。向こうも僕のことをいたく気に入ってくれ、とても個人的な話をいろいろと共有してくれた。そのうち、夜遅くまで一緒に遊んで、僕が終電を逃してしまいそうなときは、S君のアパートに泊めてもらうことも多くなった。小さなアパートで来客用の寝具なんてなかったので、どちらから言い出したわけではないが、S君のベッドに一緒に寝かせてもらうようになった。

S君の実家へも泊まりに行った。川と橋の多いきれいな街だった。彼は、お気に入りのお好み焼き屋へ連れて行ってくれたり、高校時代のいろいろな思い出を聞かせてくれたりした。彼が僕の家へ遊びに来たこともあって、両親は、ええ友達ができた、と喜んでいた。夏の暑い盛り、S君がファンだというあるアーティストの野外コンサートにも出かけていった。

これだけのことが5月の連休明けから夏休みまでのわずか数ヶ月の間に起こったのだから、変化の多い、密度の濃い時間だったと思う。今なら平気で5年分くらいの変化・密度に相当するんじゃないだろうか(ま、これは、今の僕の生活がいたって変化の乏しい平凡なものであるという事実にも関係しているのだが)。

しかし、S君との親密な友情は、夏が終わる頃にはすでにしぼみ始めていた。ある晩、大学の別の友人と電話で話しているときに、彼が冗談半分に、お前とS、付き合ってるんちゃうか、とからかってきたのだ。歳を重ねた今なら、そうや、付き合ってるねんで、ええやろ〜、と軽く受け流すくらいの機転もあるのだが、当時の僕はまだ19の若者で、そんな風にからかわれたのがえらくショックだった。30年前の日本は、まだまだ同性愛嫌悪的な空気に支配された社会で、世の男性たちは、意識的にせよ潜在的にせよ「ホモ」とレッテルを貼られることの恐怖を少なからず内面化していたと思う。たぶん、僕もそんな男の一人で、それ以降、何となくS君とキャンパスで仲良くするのが気まずくなってしまった。

S君の方はどう思っていたか知らないが、彼は彼でサークル活動がけっこう忙しく、そっちの仲間と付き合うことが多くなっていったようだ。彼の方から遊びに行こうという誘いが来ることは、だんだんと少なくなった。僕の方も、上述の理由に加え、バイトが忙しくなり、そっちで一緒になる年上の友人たちと遊ぶことの方が楽しくなっていったので、前ほどS君と緊密に連絡を取ることはなくなった。そんなわけで、9月に入り秋の学期が始まる頃には、僕たちは互いを「多くの友だちの一人」みたいな位置に格下げしていたように思う。といっても、僕たちは同じ学科だったので卒業まで多くのクラスで一緒だったし、グループで飲みに行きもしたし、帰りの地下鉄で偶然一緒になってそのまま街で遊んだこともあった。でも、あれ以来、僕たちの濃い友情が復活することは決っしてなかった。

あのひと夏の友情と妙に高揚した気持ちは、一体何だったんだろうと今でも時々思う。ちょうど高校を卒業し大学という慣れない生活環境の中で、両者とも心を許せる友人を探していたところに互いが現れた、という偶然の産物だったのか。あるいは、僕たちを互いに親友として結びつけるもっと必然的な何かがあったのか。今となっては分からないし、数十年前のことなので思い出として美化してる部分もあるだろうが、ひとつ確実に言えるのは、あの頃の僕は、真面目なこと、くだらないこと、実に多くのことについてS君と語り合い、そして、笑い合ったということだ。あれから僕は様々な人と知り合い、友達として、恋人として、同僚として親しい関係、気のおけない関係を築いてきたけど、自分の人生であれだけ喋って笑った時間というのは、他にはちょっとないような気がする。

しかし、あれだけよく行ったS君の春日野道のアパート、今となっては、どこにあったか全く思い出せない。不思議なものですね。

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春日野道商店街