歳月列車

米国での日常、そして、忘れえぬ日本の思い出

春の歌―伊勢正三、吉田拓郎、浜田省吾

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桜ももうすぐだ

昨日の朝、この街は深い霧に覆われていて、我が家の柴犬くんの散歩の時間になっても、いつもの公園は朝もやに煙っていた。散歩を続けるうちに日が昇り、春らしい日差しが照り始めた。この公園では、今、マグノリアが満開で、その次が洋梨の白い花、そして、あと数週間もすれば桜だ。花盛りの季節はもう始まっている。

こちら米国では、春は年度末でも学年末でもないので、生活・仕事の上で何か変化があるわけではないが、やはり、そこは多感な青年期までを日本社会で過ごした身であるゆえ、春=別れ=旅立ち=新生活、のような連想が自分の感受性の中に完全に刷り込まれている。そんなわけで、最近は春関連の歌が頭の中でずっとシャッフルされていて、オフィスにいても、休憩中などドアを閉めて、ちょっとあの歌聴いてみようか、という気になる。

まずは、風の「海岸通」。伊勢正三は、何気ない日常の風景や出来事を素材に、胸がぎゅっと締め付けられるような切ない詩を書く人だ。初めて聞くのになぜか懐かしく、遠い日を思い出させるような詩が多い。その中でもこの「海岸通」の詩は出色だと思う。恋い慕った人が、船で去っていくというストーリーだが、「あなたが船を選んだのは 私への思いやりだったのでしょうか 別れのテープは切れるものだとなぜ気づかなかったのでしょうか」という出だしから、もう鼻の奥がつんとして、瞼の奥がじ〜んとする。伊勢正三の歌で春、旅立ちというと、真っ先に思い浮かぶのは「なごり雪」かもしれないけど、僕はむしろ、「海岸通」で歌われる、列車ではなく、より遅緩で、それゆえ、より情緒にあふれた船を見送るという設定、そして、その船が夕陽の中に小さくなって消えていく光景により強く惹かれ、それらに託された無数の感情に想像力をかき立てられる。

吉田拓郎の「元気です」は、新生活の歌だ。「誰もこっちを向いてはくれません 1年目の春 立ちつくす私」と、新しい場所での新しい暮らしに誰もが感じる不安と孤独が軽快なメロディに乗せて語られる。2番で2年目の夏、3番で3度目の秋、4番で4年目の冬へ移行し、1曲を通して主人公の成長が伝えられる。「出会いや別れに慣れてはきたけれど 一人の重さが誰にも伝わらず」と寂しさを吐露しながらも、「それでも私は私であるために そうだ 元気ですよと答えたい」とちょっと強がって前向きに生きていこうとする主人公の姿が、たまらなく愛おしく、限りない共感に浸ってしまう。この歌に限らず吉田拓郎の詩は、疲れたときに食べるぜんざいのように、心を温かく包み込みほっこりした気分にしてくれる。

浜田省吾の「風を感じて」は、特に春の歌ではないが、躍動感に満ち、何かの始まりを予感させ、元気をくれるという点では、この季節にぴったりだ。少し話がそれるが、僕はその昔、浜省が好きで狂おしい(笑)くらいに好きだった(今でももちろん好きですけど)。自己分析するに、僕は、子供の時分から決して強くて勇ましい、世間一般にいう男らしい男というわけではなかったので、その反動で何かしらアニキ的なものに強く憧れ、それが浜省にハマった理由のひとつだったと思う。浜省のロックは、決して家父長的でもマッチョでもなく、僕のような弱い男でも優しく受け入れてくれるように感じた。

で、「風を感じて」に話を戻すと、浮世にはいろんなしがらみがあるが、もっと楽に生きようよという歌。「自由に生きてく方法なんて100通りだってあるさ」という言葉にどれほど慰められたか。このブログを書くにあたって、youtubeにアップロードされているこの歌のビデオを検索したのだが、同じようなコメントがけっこう並んでおり、自分もこの歌に勇気をもらった無数の人々の一人なんだと妙な連帯を感じた。しかし、僕は、不惑をとうに過ぎたこの年になっても、「100通り」の「自由に生きてく方法」のうち、せいぜい5つ程度しか知らず、今だ、迷いあり、不安あり、後悔ありの毎日だ。なので、やはり今でもアニキ浜省の優しい鼓舞が必要で、毎年春になると、この歌を聴いて元気をもらっている。